2011年03月31日

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短編小説

あわれな完全犯罪 最終回

絞首台へ運ばれる前の儀式が始まったようだ。ぼくは椅子に座っている。目の前には見たことのない人間たちが座っている。儀式は進行しているようだ。やがて儀式が終わるだろう。儀式が終わると、ぼくは絞首台に運ばれていき吊るされる。ぼくの喉に縄が食い込んでぼくの首はへし曲がり、ぼくの息は止まり、ぼくの心臓は止まる。
・ ・・ぼくに生きる価値はない・・・でも恐い・・恐い・・
ぼくは生きる価値のない人間だ
・ ・・でも死ぬのは恐い・・・
ぼくの足は震えている。小刻みに震えている。震えている足は力が入らない。
儀式が終わったようだ。
ぼくは立たなければならない。でも立てない。体全体が小刻みに震えている。足に力が入らない。立てない。ぼくは立てない。
・ ・・恐い・・・
ぼくの体は立つことを恐がっている。ぼくの本能は死を恐がっている。ぼくの足は死を恐がってがたがたと震えている。腰が抜けて崩れそうになっているぼくの体は死に恐怖している。死の恐怖で動けないぼくの体。立てなくなったぼくの体を刑務官は手馴れた動きで両脇から持ち上げるようにしてぼくを立たせた。・・・ああ、待て、待ってくれ。崎浜家の五人の人間を殺したのはぼくじゃない。ぼくは強盗殺人の真犯人じゃない。絞首刑にされるべき人間はぼくじゃない。・・・・ぼくは必死に叫んだ。しかし、ぼくの叫びは、意味不明のうわごとになっている。
ぼくは、完全犯罪を実現させた。
ぼくは、完全なアリバイ工作をやった。
ぼくは、それなのにこんなことになるなんて・・おかしい。
なぜなぜぼくが完全犯罪を実現した日にM市で強盗殺人が起こったのだ。ひどい偶然だ。残酷な偶然だ。この世は不条理だ。・・・不条理・・・不条理といえば気になることがある。もしかすると・・・いや、あり得ないことだ。しかし、もしかすると・・・・・亜衣子は本当に死んだのだろうか。・・・・もしかすると亜衣子は生きているのではないだろうか。・・・・亜衣子が生きているかも知れないという不安がぼくの頭をよぎったことは何度もあった。しかし、ぼくはその不安をすぐに打ち消した。死刑判決が下ったぼくにとって亜衣子は死んでいなければならないからだ。ぼくの死刑判決は亜衣子の死とバランスが取れた関係にある。だからぼくが死刑になったのだから亜衣子は死んでいなければならない。ぼくは亜衣子が生きていると想像することは避けてきた。しかし、もし亜衣子が生きていたら、ぼくの死刑は不条理だ。喜劇だ。滑稽だ。その事実を世間が知ったら世間はとんまなぼくを失笑するだろう。死刑判決を宣告されたぼくがとんまな存在にならないために亜衣子は死んでいなければならないのだ。そう、亜衣子は生きていてはいけないのだ。
亜衣子が生きているはずはない。ぼくは亜衣子をナイフで刺した。三箇所もだ。ぼくは亜衣子の首と胸と腹を刺した・・・はずだ。だから亜衣子が生きているはずはない。そうぼくは確信している。しかし・・・・。」」
 刑事は一度も亜衣子が殺されたうわさ話をしなかった。隣りの街で起きた同じ日の殺人事件なのだから、刑事が亜衣子殺しのうわさ話をするのは当然だ。それなのに刑事は隣りの街の殺人事件の話をぼくの前では一度もしなかった。もしかすると殺人事件はなかったということか。・・・・・もしかすると亜衣子は生きているのだろうか・・・・亜衣子は死んだのかそれとも生きているのか・・・・亜衣子が死んだのなら、ぼくが死の判決を受けたのをぼくは納得することができる。しかし、亜衣子が生きているならぼくが受けた死刑判決は納得できない。ぼくにとって不条理だ。死刑判決はぼくにとってとてもむごい判決だ。
亜衣子は死んだのか、それとも死ななかったのか。それが問題だ。亜衣子がどうなったのかを知りたい。とても知りたい。今までは、亜衣子は死んだものと思っていたから亜衣子のことを聞きたくなかった。しかし、今は知りたい。亜衣子は死んだのか、それとも生きているのか・・・。ぼくは亜衣子を刺した。鮮血が飛び散っていた・・・・はずだ。亜衣子は血を流しながら力なく倒れ込んだ・・・はずだ。いや違う。思い出した。死刑の前の異常な緊張がぼくの記憶力を明晰にしたようだ。亜衣子が鮮血を流しながら倒れたのをぼくは見ていない。それはぼくの妄想だった。ぼくは亜衣子を刺した直後に一目散に逃げた。ぼくは亜衣子の鮮血を見ていないし倒れる姿も見ていない。ぼくは亜衣子を刺した前後の記憶を失っていたのだ。亜衣子を刺し殺したという強い思い込みのせいで、血を流しながら倒れていく亜衣子の姿をぼくは妄想していたのだ。
でもぼくが亜衣子を刺したことは確実だ。だから亜衣子は死んだ・・・はずだ。生きているはずはない。いや、亜衣子が百パーセント死んだと断言することはできない。ぼくは亜衣子の死を確かめてはいない。しかし、亜衣子が死んだ確率は九十九パーセントある・・・と思う。残りの一パーセントは亜衣子が生きている確率として残る。一パーセント、一パーセント、一パーセント。不気味な一パーセントだ。なんだか九十九パーセントより一パーセントの方が確率が高いような気がしてしまう。

亜衣子は死んだのだろうか。それとも生きているのだろうか。どっちなんだろう。亜衣子が生きているのならぼくにも生きる権利がある。亜衣子が生きているのならぼくの死刑は不条理だ。ああ、亜衣子の生死がとても気になる。亜衣子が生きていればぼくの死ぬ理由はなくなってしまうのだ。亜衣子は死んだのか死ななかったのか。ぼくは知ることができない。ぼくが知っているのはぼくは無実の罪でこれから処刑されるということだ。ぼくは死にたくない・・・・・・・。
・・・もしかすると亜衣子は生きているかもしれない。いや亜衣子は生きている。きっと生きている。亜衣子は生きているんだ。あ、亜衣子がぼくの無様な姿を見て笑っている。ああ、なんてことだ。ぼくを裏切った薄情な亜衣子は生き残っているのにぼくは首を吊るされて死んでしまう。こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。亜衣子め。ぼくを裏切った亜衣子め。あ、亜衣子がぼくを見て勝ち誇ったように笑っている。ああ、惨めだ。ぼくを不幸にした亜衣子め。薄情で卑劣な女め。許さないぞ。ぼくは絶対にお前を許さないぞ。お前を恨むぞ。笑うな。勝ち誇った笑いをするな。お前をこの世から抹殺してやる。勝ち誇った笑いをしているお前の顔を切り刻んでやる。笑うな。ぼくを笑うな。くそ、浮気女め。殺してやる。殺してやる。今度こそ完全にお前の息の根を止めてやる。
あれ、急に目の前が暗くなった。どうしたのだ。ガチャガチャと金属音がする。手錠の音か。ぼくは手錠をかけられ目隠しをされて絞首台に運ばれているのか。ちょ、ちょっと待ってくれ。ぼくは崎浜家の人間を殺してはいない。本当だ。ぼくは死刑になるような犯罪を犯してはいない。ぼくは亜衣子を傷つけただけだ。傷害罪のぼくを死刑にするなんて間違っている。死ぬのは嫌だ。待て、待ってくれ。ぼくは真実を話す。真実を話すから待ってくれ。待ってくれ。とにかく待ってくれ。うう、声が出ない。うう、どうしても声が出ない。とにかくだ。ぼくを裏切ったあの女が悪いのだ。ぼくがあの女を刺したのはあの女の性なんだ。全てはあの女が悪いのだ。本当だ。嘘じゃない。だから待ってくれ。ぼくを引きずらないでくれ。ぼくは死にたくない。ぼくは死にたくない。この死刑は間違っている。本当だ。ぼくを死刑にするのは間違っているんだ。わかってくれ。ぼくを引きずらないでくれ。止まってくれ。ぼくが真実を話す。真実を。お願いだ。ちょっ、ちょっと待て。
待ってくれ。ぼくは・・えっ・うぐっ・・・・
・・・・・・・・・・。




2011年03月28日

あわれな完全犯罪 6/7

絞首台へ運ばれる前の儀式が始まったようだ。ぼくは椅子に座っている。目の前には見たことのない人間たちが座っている。儀式は進行しているようだ。やがて儀式が終わるだろう。儀式が終わると、ぼくは絞首台に運ばれていき吊るされる。ぼくの喉に縄が食い込んでぼくの首はへし曲がり、ぼくの息は止まり、ぼくの心臓は止まる。
・ ・・ぼくに生きる価値はない・・・でも恐い・・恐い・・
ぼくは生きる価値のない人間だ
・ ・・でも死ぬのは恐い・・・
ぼくの足は震えている。小刻みに震えている。震えている足は力が入らない。
儀式が終わったようだ。
ぼくは立たなければならない。でも立てない。体全体が小刻みに震えている。足に力が入らない。立てない。ぼくは立てない。
・ ・・恐い・・・
ぼくの体は立つことを恐がっている。ぼくの本能は死を恐がっている。ぼくの足は死を恐がってがたがたと震えている。腰が抜けて崩れそうになっているぼくの体は死に恐怖している。死の恐怖で動けないぼくの体。立てなくなったぼくの体を刑務官は手馴れた動きで両脇から持ち上げるようにしてぼくを立たせた。・・・ああ、待て、待ってくれ。崎浜家の五人の人間を殺したのはぼくじゃない。ぼくは強盗殺人の真犯人じゃない。絞首刑にされるべき人間はぼくじゃない。・・・・ぼくは必死に叫んだ。しかし、ぼくの叫びは、意味不明のうわごとになっている。
ぼくは、完全犯罪を実現させた。
ぼくは、完全なアリバイ工作をやった。
ぼくは、それなのにこんなことになるなんて・・おかしい。
なぜなぜぼくが完全犯罪を実現した日にM市で強盗殺人が起こったのだ。ひどい偶然だ。残酷な偶然だ。この世は不条理だ。・・・不条理・・・不条理といえば気になることがある。もしかすると・・・いや、あり得ないことだ。しかし、もしかすると・・・・・亜衣子は本当に死んだのだろうか。・・・・もしかすると亜衣子は生きているのではないだろうか。・・・・亜衣子が生きているかも知れないという不安がぼくの頭をよぎったことは何度もあった。しかし、ぼくはその不安をすぐに打ち消した。死刑判決が下ったぼくにとって亜衣子は死んでいなければならないからだ。ぼくの死刑判決は亜衣子の死とバランスが取れた関係にある。だからぼくが死刑になったのだから亜衣子は死んでいなければならない。ぼくは亜衣子が生きていると想像することは避けてきた。しかし、もし亜衣子が生きていたら、ぼくの死刑は不条理だ。喜劇だ。滑稽だ。その事実を世間が知ったら世間はとんまなぼくを失笑するだろう。死刑判決を宣告されたぼくがとんまな存在にならないために亜衣子は死んでいなければならないのだ。そう、亜衣子は生きていてはいけないのだ。
亜衣子が生きているはずはない。ぼくは亜衣子をナイフで刺した。三箇所もだ。ぼくは亜衣子の首と胸と腹を刺した・・・はずだ。だから亜衣子が生きているはずはない。そうぼくは確信している。しかし・・・・。




2011年03月11日

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短編小説

あわれな完全犯罪 5/7

独房の、孤独で寂しい生活を送っているぼくは冷たい床に横になりながら亜衣子と愛し合う夢想をして心を癒そうとした。しかし、ぼくに微笑んでいる亜衣子を夢想することができるのはわずか数秒だった。亜衣子の微笑んでいる姿はすぐに消え、火葬場の窯の前の台の上に散らばった亜衣子の白い骨や墓の中の壷に入っている亜衣子の骨がぼくの頭に浮かんできた。ぼくは亜衣子と愛し合う夢想を見ることはできなくなった。骨の亜衣子を打ち消して柔らかな肉体の亜衣子をイメージしようとしてもぼくはできなかった。
夢は夢想より恐ろしかった。亜衣子とキスをしていると舌がざらざらしたので変に思い目を開いて亜衣子を見ると亜衣子の目は空洞になっていて鼻も空洞になっていて歯と骨だけの骸骨とぼくはキスをしていた。驚いて骸骨から離れると剥き出しの歯がガチガチとぼくに噛み付いてきた。
ベッドの上で亜衣子とぼくが重なって激しく上下運動をしているとぼくの胸が針に刺されたようにちくちく痛くなった。下腹部のあたりも鋭い石にぶつかっているような痛みを感じた。ぼくが下になっている亜衣子を見ると亜衣子は骸骨になっていた。ぼくは骸骨になった亜衣子の上に乗っていたのだ。亜衣子の胸骨がぼくの胸を突き刺した。ギャーとぼくは叫んで骸骨から離れようとすると骸骨がぼくを掴んで離さなかった。足の骨もぼくに絡んできた。ぼくは骸骨から逃れようと必死にもがいた。ぼくがもがいていると骸骨はボキボキと折れて崩れた。ベッドには亜衣子の骨が散乱していた。
夢の途中で亜衣子はいつも骸骨に変貌し、ぼくは夢の中でも亜衣子と愛し合うことができなかった。亜衣子が死ぬということは亜衣子が骨になるということだったのだ。亜衣子を殺すということは亜衣子を骨にしてしまうということだったのだ。亜衣子を殺すということは骸骨と愛しあう夢を見てしまうことだったのだ。そのことをぼくは亜衣子を殺して初めて知った。ぼくは亜衣子と愛し合う夢を自分の手で消滅させた浅はかな人間だ。亜衣子が生きていたらいつかは亜衣子と愛し合う日が来るのを夢見ることができる。しかし、ぼくは亜衣子を殺した。亜衣子はもうこの世にいない。この世にいるのは亜衣子の骨だけだ。ぼくは骸骨と愛し合うことはできない。ぼくは亜衣子と愛し合うのを夢想することも亜衣子と愛し合う日が来るのを期待することもできなくなった。亜衣子が生きていれば愛し合う日が来る可能性はゼロではない。亜衣子が死んでしまっては亜衣子と愛し合う日が来る可能性はゼロだ。ぼくは亜衣子と愛し合う可能性を自分の手でゼロにした愚かな男だ。

ああ亜衣子。微笑むと八重歯がかわいかった亜衣子。はきはきとかわいく話してぼくの心を明るくしてくれた亜衣子。ぼくに安らぎと至高の喜びを与えてくれた亜衣子。・・・・ああ、ぼくは亜衣子を殺した。亜衣子は骨になった。骨はもう亜衣子ではない。愛する亜衣子を殺したぼくは浅はかで愚かな人間だ。もう、現実でも夢でもぼくは亜衣子と愛し合うことはできない。なんてことだ。なんてことをぼくはしでかしてしまったんだ。こんなことになるのだったらぼくは亜衣子を殺さない方がよかった。愛する亜衣子を殺してしまったぼくは愚鈍な人間だ。ぼくに生きる価値はない。




2011年03月10日

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短編小説

あわれな完全犯罪 4/7

ぼくは愛する人を殺した。・・・・愛する人を殺す・・・・それは人間の一番許されない行為だ。ところがぼくは愛する人を殺してしまった。ああ、なんということをぼくはやってしまったのだ。なぜぼくはあんな非道なことをやってしまったのだろう。ぼくは亜衣子を愛していた。深く深く愛していた。ぼくは愛する亜衣子から「さよなら」を告げられた。そしてぼくは亜衣子を殺した。なぜぼくは亜衣子を殺したのだろう。信じられない。あの時のぼくはどうかしていたんだ。ぼくの頭は狂っていたんだ。愛する亜衣子がぼくから去っていった性でぼくは嫉妬に狂いぼくの頭はおかしくなっていったんだ。絶望のどん底に落ちたぼくの心は悪魔になって亜衣子を殺したんだ。しかし、ぼくに亜衣子を殺す権利なんかあるはずがない。嫉妬に狂って愛する亜衣子を殺したぼくの行為は死刑に値する。そうだ。ぼくは処刑されて当然だ。五人の人間を殺した罪でぼくに死刑判決が下された。それでいい。警察に捕まらなかったらぼくは亜衣子を殺した罪に一生苦しみ続けいずれは廃人になっただろう。ぼくは無実の罪で死刑になる。でもそれでいい。その方がいい。

固いコンクリートの上を歩いているがまるで雲の上を歩いているようだ。ぼくの体は震えが止まらない。足に力が入らない。腕に力が入らない。
「心の整理をしたい。だから少しの間止まってくれ。」
とぼくはぼくを抱えている刑務官に言った。しかし、刑務官の歩は止まらない。ぼくの顎はがくがくと痙攣していて発音がめちゃくちゃのようだ。ぼくの声は意味不明のうめき声になっている。だから刑務官はぼくの話を理解できなかったのだろう。
廊下をぼくの体は進んで行く。壁も天井も無言で後ろの方へ去っていく。ぼくの体を抱えている刑務官は無駄のない動きでコンクリートの廊下を歩いてぼくを絞首刑場へと運んでいる。容赦のない確実な歩み。刑務官はこの淡々とした動きでぼくを絞首台に連れて行ってぼくの首に縄をかけるのだろう。やがてぼくは絞首台に吊り下げられる。ぼくは命が果てる。八年前にぼくの命は絞首台で果てる運命と決まり、その時からぼくは死刑囚となり刑務所で八年と五十五日間を過ごしてきた。八年と五十六日目の刑務所生活はぼくにはない。ぼくはこれから処刑される。ぼくの命はもう少しで終わる。

 亜衣子が他の男と愛し合うのに耐えられないぼくは絶望と嫉妬に狂い亜衣子を殺した。嫉妬に苦しんでいたぼくは亜衣子を殺せば亜衣子はぼくの胸の中でぼくだけの亜衣子として永遠に生き続けると信じていた。しかし、それは間違っていた。亜衣子を殺したことでぼくにやってくる恐ろしい現実をぼくは予想していなかった。死んだ亜衣子が別の男と愛し合うことはなくなったので亜衣子への嫉妬はなくなった。しかし、ぼくも愛する亜衣子と愛し合う夢を見ることができなくなった。亜衣子が生きている時は亜衣子に嫉妬をして亜衣子を憎む日々が続いたが再び亜衣子がぼくの所に戻ってくることを思い描くこともできたしぼくは亜衣子と愛し合った日々を回想しながら想像の中で亜衣子と愛し合うことができた。それは亜衣子が生きているから想像することができたのだということをぼくは刑務所生活の中で思い知らされた。
亜衣子は死体になった。亜衣子の冷たい死体は火葬場に運ばれ火葬場の窯の一二〇〇度の炎で焼かれて骨と灰になった。生きている亜衣子はもうこの世からいなくなった。火葬場で焼かれた亜衣子の肉体は灰となって火葬場の煙突から空中に飛散し、焼け残った骨は骨壷に入れられて、ぼくの知らない場所にある墓に入っている。今はどこかの墓の中の闇で沈黙している亜衣子の骨があるだけだ。当たり前の事実であるが嫉妬に狂っていたぼくは死んだ亜衣子が骨になるという事実を想像しなかった。
ぼくの舌と激しく絡み合った亜衣子の舌は灰になって火葬場の煙突から空中に飛散した。ぼくの挿入を受け入れて激しく燃え、至上の喜びをぼくに与えてくれた亜衣子のあそこも灰になってしまった。ぼくにやすらぎを与えてくれた柔らかな愛子の乳房も灰になってしまった。亜衣子の瞳、亜衣子のくちびる、亜衣子の太もも、亜衣子の・・・。ぼくと愛を語らいぼくの肉体と絡み合った亜衣子の白く柔らかな肉体は灰と骨になってしまった。もうぼくは亜衣子の唇とぼくの唇を重ねることはできない。亜衣子の舌を吸うこともできない。亜衣子の胸を愛撫することも亜衣子に挿入することもできない。ぼくが亜衣子を愛撫することも亜衣子がぼくを愛撫することも二度とない。




2011年03月09日

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短編小説

あわれな完全犯罪 3/7

完全なるアリバイ工作。完全犯罪は実現した。しかしぼくには完全犯罪を遂行した満足感はなかった。ぼくは愛する人を殺してしまったのだ。ぼくはなんてひどい人間なんだ。ぼくは最低の人間だ。ぼくは亜衣子を殺した瞬間から後悔が始まっていた。逃げるぼくの目から涙があふれ出て止まらなかった。ぼくの心は乱れぼくは泣きながら車を走らせた。

 ぼくが亜衣子を殺した同じ日にM市の崎浜家で祖父母と孫三人が惨殺されるという殺人強盗事件が起きた。ぼくの知らない所で起きた惨忍な殺人事件だ。ああ、なぜ偶然はぼくに残酷なのだ。ぼくの完全犯罪を嘲笑するように崎浜家殺人強盗事件は起こった。ぼくの計画は完璧だった。絶対に警察は亜衣子殺しの犯人であるぼくを逮捕することはできない。ところがぼくは崎浜家殺人強盗事件で非常線を張っていた警官に車を停められて訊問された。愛する亜衣子を刺し殺したぼくは後悔と悲しみで心は乱れていた。そんなぼくが警察の尋問にすらすらと答えることができるはずがない。自失忘然のぼくは警官の訊問にしどろもどろになり意味不明の返事をした。警官はそんなぼくを不審に思った。警官はぼくに車のトランクを開けるように指示した。開いたトランクの中にはリュックサックが入っていた。リュックサックの中には帽子、マフラー、サングラス、作業服に混じって血のりのついたナイフが入っていた。最愛の人を刺したナイフだ。ぼくの最愛の人の血がこびりついたナイフ。ぼくの聖なるナイフ。リュックサックのナイフは崎浜家の人間を刺したナイフではなかった。そのナイフは愛する人を刺した悲しみのナイフだった。ナイフについていた血は最愛なる人の聖なる血であった。崎浜家の人間の血ではなかった。しかし、愛する人を殺したショックのぼくにナイフに付いた血は崎浜家の人間の血ではないと説明することができるはずがない。警官がぼくを訊問してもぼくはなにも答えることはできなかった。警官はぼくを崎浜家殺人事件の容疑者として逮捕した。ああ、運の悪いぼく。

ぼくは生前の崎浜誠太郎という老人を見たことがない。崎浜梅子も崎浜俊一も崎浜麗華も沙耶華も生きている時の姿を見たことは一度もない。ぼくは崎浜家に行ったことはないし崎浜家がどこにあるのかも知らなかった。本当だ。ぼくが初めて崎浜家の五人の人間を見たのは写真だ。刑事はぼくに五人の死んだ姿の写真を見せた。胸がざっくりとナイフで裂かれて胸から腹の辺りが血に染まっている崎浜誠太郎の写真。目を見開き口から舌を出している崎浜梅子の写真。崎浜俊一の血だらけの写真。崎浜麗華と沙耶華の首が鋭いナイフで切り裂かれて血が床一面に広がっている写真。刑事は何枚もの惨殺死体の写真をぼくに見せた。ほくは気分が悪くなり何度も吐いた。刑事はぼくを罵りながら何度も何度もぼくに惨殺死体の写真を見せ五人の名前と年齢を繰り返し言った。
そして、刑事は愛する亜衣子を殺したショックのためになにも話せないぼくに代わってぼくの自供を創作した。刑事の強引な要求に従って刑事の創作した調書にサインをした自失忘然のぼくは五人の人間を殺した凶悪な殺人犯となった。
調書によるとぼくはお金を盗むためにM市のはずれにある崎浜家に縁側のガラス戸を開けて侵入したそうだ。家に侵入したぼくは七十三歳になる崎浜誠太郎という老人の胸をナイフで刺して殺したそうだ。次に七十一歳の崎浜梅子を絞め殺したそうだ。孫の五歳になる崎浜俊一と三歳になる双子の崎浜麗華と沙耶華もナイフで次々と刺して殺したそうだ。残忍な殺人をやったぼくは血まみれの崎浜誠太郎のポケットからサイフを奪い、タンスの引き出しから九万円を盗んで玄関から逃げて行ったそうだ。そのように書いてある刑事の創作した調書を軸にしてぼくの裁判は進行した。
ナイフに付いている血の血液型はA型であり崎浜誠太郎の血液型とぼくの血液型は同じだった。しかし、ぼくのナイフに付いていた血は崎浜家の人間の血ではない。DNAの検査をすればナイフの血は崎浜家の人間の血ではないことはすぐに分かったはずだ。ところが警察はDNA検査でもナイフに付いていた血は崎浜家の人間の血であることが証明されたと裁判で証言した。それは嘘だ。そんなことはありえない。ぼくのナイフに付いた血は絶対に崎浜家の人間の血ではない。断じて違う。断じて違うのだ。ナイフに付着していた血はぼくの最愛の女性の血だ。神聖な血なのだ。小汚い老人の血なんかじゃない。神聖な血が薄汚れた老人の血であると想像するだけでぼくは吐き気がした。ナイフの血は薄汚れた老人の血ではない。断じて違う。検事が、ぼくが老人をナイフで刺し殺した犯人であると主張するならぼくは甘んじて殺人犯になろう。ぼくは愛する女性を殺した最低の男だ。そんなぼくは老人を刺し殺した犯人にされてもいい。しかし、検事がナイフを振りかざしてそのナイフで小汚い老人を刺し殺したと自身満々に話すのにはぼくはとても耐えられなかった。ぼくは神聖なナイフを小汚い老人を刺したナイフにしないでくれと叫びたかった。しかし検事の口上はぼくの心をあざ笑うかのように神聖なるナイフをどんどん汚していった。崎浜誠太郎、崎浜梅子、崎浜俊一、崎浜麗華、沙耶華の崎浜家の五人の人間を殺害したという調書にぼくはサインをした。検事が神聖なるナイフを振りかざしながら老人を刺し殺したナイフであると話すのは当然であると言えば当然である。しかし、ぼくは神聖なるナイフを汚している検事の話に怒りが込み上げてきて、「神聖なナイフを冒瀆するな。」と叫び検事に飛びかかって検事からナイフを奪い取りたかった。しかしぼくは失語症の人間のようになにも言えなかったし椅子から立ち上がる気力もなかった。無力なぼくは悲しみと悔しさの涙を流しながらじっと座っていた。
自供を最優先する日本の裁判だから刑事がでっちあげた調書の内容に沿って証拠は並べられ裁判は進行して裁判官は至極当然のようにぼくに死刑判決を下した。愛する亜衣子を殺した罪悪感に打ちひしがれているぼくには死刑判決に反駁する気力はなかった。




2011年03月08日

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短編小説

あわれな完全犯罪 2/7


亜衣子が急に心変わりしたのは新しい男ができたからに違いない。きっとそうだ。ああ、亜衣子が他の男と愛しあうことなんてぼくには耐え切れない。亜衣子の白い肉体がベッドの上で男と絡み合っているのを想像するとぼくの心は張り裂けそうになった。ぼくは次第に嫉妬の蟻地獄に堕ちていった。ぼくは一日中亜衣子のことが頭から離れなくなった。亜衣子の唇、目、胸、腕、腹、太ももが次々と脳裏に浮かんだ。仕事をしていても食事をしていても同僚と話していても四六時中ぼくの脳裏はぼくが亜衣子の柔らかな肉体と絡んでいる夢想と亜衣子が他の男と愛し合っている妄想を繰り返していた。部屋で独りになると亜衣子がいない虚しさにぼくは泣き、亜衣子が男と愛し合っている姿を妄想して激しく嫉妬した。ぼくの失恋はとても深く、絶望と嫉妬と恋慕の日々に悩み苦しむぼくの心は次第におかしくなっていった。絶望と嫉妬と恋慕の三重苦の日々のぼくはこの苦しみから解放されるには亜衣子がこの世から居なくなる以外にはないと考えるようになった。ぼくの方に戻ってこない亜衣子なら、いっそのこと死んだ方がいいとぼくは思うようになった。亜衣子が死ねば亜衣子が他の男と愛し合っている姿を妄想して嫉妬に苦しむことからぼくは解放される。だから亜衣子は死んだ方がいい。それに亜衣子が死ねばぼくの想像の世界で亜衣子はぼくだけの亜衣子になれる。絶望と嫉妬と恋慕に苦しんでいたぼくは亜衣子の死を望むようになった。
亜衣子が死ぬ。それはぼくが亜衣子を殺すことでしか実現はできない。ぼくが亜衣子を殺す。それは恐ろしいことだ。気の弱いぼくが亜衣子を殺すことを思いつくなんて信じられないことであった。ぼくはその考えを打ち消した。しかし、絶望と嫉妬と恋慕に苦しんでいるぼくの脳裏には沼の泡のようにその考えが何度も何度も浮かんできた。ぼくは迷った挙句にぼくの苦しみを解放するには亜衣子を殺すしかないと考えるようになった。
亜衣子を殺すことは亜衣子が死ぬということではない。亜衣子が永遠にぼくと一緒に生きるということである・・・とぼくはぼくに言い聞かせた。ぼくが亜衣子を殺すのは犯罪ではない。純粋な愛の行為である・・・とぼくはぼくを説得した。ぼくはぼくを何度も説得して、ついには亜衣子を殺すことはぼくにとって必然であるという考えに到達した。ぼくの行為は犯罪行為ではない。ぼくの行為は純粋な愛の行為だ。だからぼくが警察に逮捕される理由がない。だからぼくの愛の行為は完全犯罪でなければならない。亜衣子を完全犯罪で殺すことを決心したぼくはぼくの全知能を集中して完全犯罪の方法を思案した。完全犯罪の方法を思案しているぼくは亜衣子の生死を掌中に握っている優越感を持つようになり亜衣子の支配者になっている気持ちになった。そしていつの間にか亜衣子へのコンプレックスや嫉妬心がなくなっていた。

ぼくは亜衣子の行動パターンを詳しく調べた。案の定亜衣子には新しい男がいた。しかしぼくは嫉妬するよりもますます完全犯罪への情熱が高まり、完全犯罪の方法の研究にぼくは没頭した。そして、ついにその日が来た。

 その日は月末の土曜日だった。亜衣子は仕事がありぼくは休日だった。帰宅途中の人通りの少ない場所でぼくは亜衣子を待ち伏せしていた。ぼくが隠れていた場所を亜衣子は通りすぎた。ぼくは飛び出して後ろから亜衣子をナイフで襲った。亜衣子をナイフで数回刺したぼくは路地に入って走った。路地を出た僕は普通に歩いて逃げた。数百メートルを歩いて、路地裏に隠してあった自転車に乗って僕は逃げた。
パチンコ店の駐車場に到着すると、駐車場に置いてあるM市で盗んだオートバイに乗り、山のほうに向かった。車の通れない山道をオートバイで走って、山の反対側のM市に入り、M市のパチンコ店にぼくは向かった。パチンコ店の駐車場の近くでオートバイを捨て、駐車場に置いてあった車に乗り、ぼくは駐車場を出た。それからコンビニに向かった。コンビニで弁当を買うぼくの姿は防犯カメラに映っただろう。亜衣子を刺したぼくが車でこのコンビニにこの時間に来るのは不可能だ。これでアリバイ工作は成立だ。




2011年03月07日

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短編小説

あわれな完全犯罪 1/7

刑務官は前触れもなくぼくの部屋の前に立っていた。刑務官の無表情な顔を見た瞬間にぼくの体に氷のような冷たい電気が走りぼくは動けなくなった。ぼくの心臓の鼓動が早くなっていた。刑務官はぼくの名前を呼んだ。刑務官の抑揚のない声はぼくの脳をゆらゆらさせぼくを失語症にした。何も言わないで立っているぼくを見つめながら刑務官は今からぼくを処刑すると言った。

・ ・・やっぱり・・・・・。

刑務官の発した声はぼくの回りの空気を氷のように冷たくした。

・ ・・死、死、死・・・。ぼくは動きたくない。永遠にここを動きたくない。

刑務官は暫くの間ぼくを見つめていたが、淡々とした動きで棒のように立っているぼくを廊下に連れ出した。刑務官に両脇を抱えられているぼくはぼくの死に向かってコンクリートの廊下を歩き始めた。ぼくは本当に首を吊るされて死ぬのだろうか。ぼくの体はぶるぶる震えている。ぼくの体は死への恐怖を感じているのだろうか。ぼくの目からは涙が流れている。なぜぼくの目から涙が流れているのだろう。ぼくの体はぼくの死を悲しんで泣いているのだろうか。わからない。わけもなく絶叫したい。しかし、声が出ない。ぼくの体は淡々と歩いている刑務官に連れられて確実に一歩一歩絞首台に近づいていく。

 亜衣子は、
「別れましょう」
とぼくに言った。予期していなかった亜衣子の言葉だった。
亜衣子はぼくを嫌いになったと言い、もうぼくとは二度と会いたくないと言った。そして、亜衣子の言葉を信じることができないと言ったぼくに、
「今後私に付きまとうことは絶対にしないでね」
と突き放すように言い、
「絶対に私に電話をしないで。」
と冷たく言った。そしてくぎを刺すように、
「手紙も絶対送らないで」
と言い、もしぼくが手紙を送ったら手紙を証拠にして、
「ストーカーとして警察に訴えるから」
と亜衣子は言った。
亜衣子の突然の心変わりにぼくはショックを浮け呆然と亜衣子を見ていた。亜衣子は
「さよなら」
と言うとぼくに脊を向けて去っていった。
 希望する銀行に入社して三年。一年前から亜衣子と愛しあうようになりぼくの人生は順調に進んでいた。そろそろ亜衣子にプロポーズをする時期に来ているとぼくは思っていた。それなのに突然の亜衣子の心変わり。どうして亜衣子は心変わりしたのか。どうして亜衣子はぼくを嫌いになったのか。ぼくにはその理由がどうしても分からなかった。亜衣子に去られたぼくは絶望の日々を過ごした。
亜衣子はぼくにつきまとうなと言った。だからぼくは亜衣子と会うことができない。亜衣子は電話をするなとぼくに言った。だからぼくは亜衣子に電話をすることができない。亜衣子は手紙を送るなと言った。だからぼくは亜衣子に手紙を送ることができない。亜衣子に会うことも電話することも手紙を書くこともできないほくは絶望と悲しみの涙を流し続けた。
亜衣子に去られた辛い地獄のような日々。ぼくは生きる希望を失い不幸のどん底を這いずり回った。そして絶望の日々の中でぼくの亜衣子への恋慕は日に日に増していった。愛しい愛しい亜衣子。亜衣子に会いたい、亜衣子と話したい、亜衣子の柔らかな肉体と交じり合いたい。
しかし、ぼくは亜衣子に会うことも電話することも手紙を書くこともできない。独り悩み独り苦しみ独り悶える日々の中でぼくの亜衣子への恋慕はますます増していった。




2011年02月24日

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短編小説

六月のスイートコーン 8/8最終回

美代が居なくなり、自失呆然となった祐一であったが、家、仏壇、墓、両親を背負っている長男の祐一は東京に住む決心がつかなかったし、美代を無理やり沖縄に連れてくれば同じことが繰り返されるだけだったから、美代を追いかけて東京に行く気にはなれなかった。それに祐一から去っていくということは、美代の祐一への愛はその程度のものだという考えることもあり、美代に振られたという感情もわいてきた。
 美代の本当のつらさや苦しさが理解できたのは、祐太が結婚しても東京に住み続けたことに対する妻の鶴子の感情を見せられたからであった。鶴子は祐太が沖縄に帰ってこないのはナイチャー嫁の洋子さんのせいにしていた。洋子さんへの恨みつらみは祐一の想像を超えていた。鶴子のナイチャー嫁に抱いている恨みつらみを見ながら、祐一は美代がどんなにひどく母のウトに苛められたのか理解できた。疲れ果てやつれた美代の顔を思い出すと、美代にほんとうにすまないと思った。美代が愛おしくなり、美代のことを思い出していると知らずのうちに涙が流れていたこともあった。


祐一は酒を飲むのを止めて、
「困ったか」
と祐太に訊いた。
「なにが」
「母さんだよ。母さんにしつこく沖縄に戻るように説得されて困ったか」
と、祐一は言った。祐太は、
「正直言ってまいったよ」
と苦笑した。祐一は笑えなかった。
「沖縄に帰ってくる気はあるのか」
と、祐一は言った。祐太は困った顔をした。
「そりゃあ、気持ちはないことはないよ。しかしなあ」
と、祐太は苦しそうに言い、話を止めて酒を飲んだ。
「しかし、なんだ」
と、祐一が訊くと祐太は「ううん。」と腕組みをして考え込んだ。暫くの間二人の会話は途絶えた。祐太が返事に困っている姿を見て、
「沖縄に帰って来なくていいよ」
と、祐一は言った。
沖縄に帰ってくるように説得されると思っていた祐太は祐一の意外な言葉に驚いた。
「本当にいいのか、父さん」
「帰ってくる気があるのか」
「父さんが帰って来なくていいと言ってくれたから正直に言うが、僕は沖縄に帰ってくる気持ちはない。帰ってくる気持ちがないというのは適切ではないな。心情としては生まれ故郷の沖縄に帰って来たい。しかし、帰って来たくても帰れないというのが適切な言葉だと思う。沖縄に帰って来て東京と同じレベルの仕事と生活ができればいいけど、それはできないと思う。洋子だって今の仕事を続けたいと言っている。自分の仕事と家庭が一番大切だと僕は思う。父さんや母さんには悪いが沖縄に帰ってくるのはやっぱり無理だよ」
「だったら帰って来なくていい。東京で生活すればいい」
「本当に帰ってこなくていいのか」
「いいよ」
「でも母さんが・・・・」
「気にすることはないさ。無視すればいい」
「無視かあ。難しいなあ。父さんがお母さんを説得してくれないか」
「それはできない」
「え、どうして」
「母さんのヒステリーは苦手だし、とても勝てない」
「それはそうかも知れないな」
祐一と祐太の父子は苦笑した。
その日から、祐太は重荷から解放されたようで、鶴子の説得には「分かった分かった」と軽く受け流すようになった。

祐太を沖縄に呼び戻そうとしない祐一を、鶴子は非難した。鶴子は男より長生きする女の性を嘆き、
「私はあんたが死んだら墓や仏壇の面倒はみませんからね。あんたが死んだら私は祐太の居る東京に行きますからね。先祖代々の墓が荒れ放題になっても私は知りませんよ。それでもあんたはいいというの。仏壇はなくなってもいいというの。とにかく、あんたが死んだらこの家は途絶えますからね。それでもいいなら私は知りません」
と言って祐一を脅した。反論できない祐一は黙って聞いていた。

祐一より長生きすると信じていた鶴子は三年前に交通事故で祐一より先に死んだ。
お盆や正月の度ごとに、沖縄に帰ってくるようにしつこく説得した鶴子が死んでからは、祐太の家族が沖縄に帰ってくる回数は減ってきた。さびしいことではあるが、それはそれでいいと祐一は思っている。

 祐一はスイートコーンの根を全部掘り返す予定だったが、清二とよもやま話をしたために、全部の根を掘り返すことはできなかった。スイートコーンの半分ほどの根を掘り返して、祐一は朝の畑仕事を終えた。畑から出て、仕事にでかけるために祐一は家に戻った。
家に入る前に、祐一は門のがじゅまるの木の根に腰を下ろし、暫しの休息を取りながら汗を拭いた。
美代のことが頭に浮かんだ。最近はよく美代のことが頭に浮かぶ。美代はすでに六十歳を越した婆さんになっている。六十歳を過ぎても美代はきれいだろうし、純な心を持っていると祐一は信じている。美代なら祐一の作ったスイートコーンを見て感動し、手放しで喜んだだろう。
東京に送ったスイートコーンは祐太の家に届くのは確実であるのだが、祐一の心の隅では、東京のどこかに住んでいるはずの美代に届くような気がした。ふっと、祐太の嫁の洋子さんの顔が美代の顔に変わった。そして、祐太と自分が入れ代わっているような気分になった。東京に住んでいる若い祐一と美代と三人の子供の幸せな家族が、仲良くスイートコーンを食べているイメージがすーっと浮かび、すーっと消えた。甘酸っぱい気分になりながら祐一は苦笑した。

初夏のさわやかな風が、がじゅまるの木に、
さあーっと吹いた。




2011年02月23日

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短編小説

六月のスイートコーン 7/8

 二年が過ぎたけれども美代は妊娠をしなかった。二年が過ぎても美代に妊娠の兆候があらわれないのは美代が子供の産めない体ではないかとウトは疑った。腎盂炎という病気にかかっているために妊娠しにくい状態であると、美代はウトに説明したが、ウトは、
「ジンウエンという病気と分かっていたら、医者が治せばいい。しかし、医者はジンウエンを治すことができないじゃないか。医者は嘘つきだしでたらめだ」
と言い、
「子供は神からの授かりものだから子供を産める産めないは医者に分かるはずがない」
と言って、腎盂炎という病気が原因で妊娠できないという医者の言葉をウトは信じなかった。 
ユタは、美代が妊娠しないのは美代がナイチャーであり、大城家の祖先の霊への信仰心やユタへの信心が足りないせいであると、ウトに教えた。ウトはユタの教えを信じ、信仰心の薄いナイチャー嫁の美代が子供を産むことはできないと考えるようになった。

ある日、美代は祐一に、
「ユーベーってなんのことなの」
と聞いた。ウトが、
「祐一と別れたくないなら別れなくていい。あんたは籍を抜いてユーベーになりなさい」
と言ったという。ユーベーとは妾のことである。ウトは、正妻の座を子供が産める女に譲り、美代は妾になるようにと言ったのである。ユーベーの意味を知った美代は大きなショックを受けた。大城家の嫁になろうと努力していた美代であったが、それからの美代はふさぎ込むようになり、
「東京に帰りたい」
と口癖のように言うようになった。

 精神的に落ち込んだ美代は、ある夜、
「祐一。東京に帰りましょう」
と祐一に訴えた。祐一の正直な気持ちは美代と一緒に東京に行きたかった。東京ならなんの束縛もなく美代と水入らずの生活が送れる。
「しかしなあ」
祐一はため息をついた。祐一は長男である。長男である祐一は家を継がなければならない。父母が年老いた時は祐一が世話をしなければならない。父母を見捨てて東京に行くことは祐一にはできなかった。
返事に困っている祐一に美代は、
「ねえ祐一、東京に帰ろう。東京で二人で暮らそう」
と懇願した。祐一は東京へ行きたい気持ちはあったが、それができない自分がいた。
「僕だって本当は東京に行きたいよ。でも僕は長男だ。親を捨てて東京に行くことはできない」
家は長男が継がなければならない、両親は長男が世話をしなければならないという考えは沖縄の根強い風土思想であるし、祐一の心にもそれは根強くあった。東京に行きたいという正直な気持ちを「よし、行こう」という決意に転換させることは祐一にはできなかった。
美代の実家は東京の赤坂にあったが、
「祐一が私と一緒に東京に帰るなら、私も家族を捨てる。私は二度と父とも母とも兄弟とも会わない。祐一、東京に帰って昔みたいに二人だけで暮らそう」
と、美代は涙を流しながら祐一に訴えた。美代の必死の訴えに祐一は、
「僕は長男だ。僕は家を継がなければならないし、両親を世話しなければならない」
と言って美代と東京に行くのを渋った。
「ぼくは美代と絶対に離婚はしない。もう少し辛抱すれば、美代も沖縄の生活に慣れると思うし、子供も生まれるだろう。美代、もう少し頑張ってくれ」
東京に行くわけにはいかない祐一は、美代が沖縄にとどまるように説得した。
祐一に、東京に行くことを拒否された美代はますます塞ぎ込むようになり、祐一とのセックスを拒否するようになった。
「祐一は好き。でも、沖縄の怨霊は恐い。回りには怨霊がうようよいるように感じるの。祐一にも沖縄の怨霊が乗り移っているように感じて、祐一にではなく沖縄の怨霊に抱かれるような気がして私の心が変になるの。ごめんなさい」
セックスを拒否する理由を、美代はそのように言った。
 沖縄に来て三年目の年の暮れに、美代は自分の名前を書いて押印をした離婚届けを祐一の前に置いた。美代が離婚を決意するとは祐一は予想していなかった。離婚届けを見せられてうろたえた祐一は、
「考え直してくれないか」
と、美代に訴えた。しかし、身も心も疲れ果てている美代には祐一の願いを聞く余裕はなかった。
「お願い。私と東京に帰りましょう」
と美代は懇願した。
「僕は美代と離婚したくない。お願いだ、沖縄に居てくれ。その内にみんな解決するようにする」
「その内という時期はもう過ぎたわ。私の心は沖縄の怨霊にもう耐えられない」
「僕は美代と別れたくない」
「私も祐一と別れたくない」
「美代が好きだ」
「祐一を愛している。でも」
祐一を見つめる美代の目から涙がこぼれた。
「私、疲れたわ。楽になりたい」
祐一は沖縄に留まるように美代を懸命に説得した。美代は祐一に、東京に一緒に帰ろうと泣きながら訴えた。愛し合っている祐一と美代であったが、二人が住む場所は違っていた。
「私は祐一と結婚したの。沖縄と結婚したのじゃないわ。郷に入れば郷に従えと言うけど、どんなに従おうとしても従うことができない郷もあるわ」
と、悩み続けて、やつれ果てた美代は言った。そして、
「祐一を愛している。祐一と暮らしたい。でも、沖縄で生活するのはもう限界。ごめんね、祐一」
という言葉を残して、美代は祐一の前から去った。




2011年02月22日

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短編小説

六月のスイートコーン 6/8

「祐一はウチナーンチュのくせにマブヤーも知らないの」
と言って、いたずらっぽく笑った。
「知らないよ」
祐一はわざとむくれた振りをした。
「マブヤーというのはね、魂のことなの。子供は転んだ勢いで地面に魂を落としたりするの。だから、魂を体に戻すためにマブヤーマブヤーと言うの」
「なるほど、そういう意味だったのか」
「祐一のおばあさんはこんな仕草をして祐一の落ちた魂を地面から祐一に戻るようにマブヤーマブーヤーと言ったでしょう」
美代は魂をすくい上げるように手を床から祐一の胸に繰り返し移動した。
「そうか、おばあは地面に落ちた僕の魂をすくいあげていたのか。なるほどなるほど」
「でも転んだだけで、魂が地面に落ちるというのはおかしいわ。魂がそんなに簡単に落ちてしまうかしら。祐一はどう思う」
「そうだなあ。きっと沖縄の子供の魂はとても重くて落ちやすいのじゃないか」
「フフフフ、そうかも知れないわね」
沖縄の方言や言い伝えは美代には新鮮だった。祐一にとっても美代が話す沖縄の方言や言い伝えは新鮮であり、若い二人は新しく知った沖縄方言について話し合うのを楽しんだ。

 美代は沖縄には神様が多いのに戸惑いもあった。二人は思想についても話し合った。
「沖縄はアニミズムの世界なのね。沖縄の人は自然の霊と先祖の霊に支配されているみたい」
「ふうん。美代はそんな風に感じるんだ。」
「沖縄は霊がうようよしているみたい」
「僕はそんな風に感じない。美代は沖縄が怖いのか」
「別に怖くはないけど。いろんな神様のいいつけを守らないといけないのがちょっと窮屈に感じるわ」
「窮屈に感じるのか」
「ちょっとね。男の祐一は感じないかもしれない。女は男より神様のいいつけを守らなければならないみたい」
「そうか」
美代は沖縄の神々やウトの教えに批判的であったが、
「でも、郷に入れば郷に従えよね。私はおかあさんの教えに従うわ。一日も早く大城家の嫁としておかあさんに認めてもらうように頑張るわ」
と言って、美代は沖縄の風習に慣れる努力をした。祐一は美代を励ました。

しかし、美代が沖縄の風習に慣れる努力をしても、母のウトに気に入られることはできなかった。それは一年が過ぎても美代に妊娠の兆候が見られなかったからだ。沖縄の嫁の一番大事な仕事は跡継ぎの長男を産むことである。長男を産むことができない嫁はどんなに気立てがよくて働き者でも親に気に入られることはなかった。ウトは一日も早く跡継ぎの孫を見たかった。一年が過ぎても美代が妊娠しなかったので、早く孫を生んで欲しいウトは、美代を連れてユタの家に行き、美代が妊娠しない理由とねどうすれば早く妊娠するかをユタに聞いた。美代が妊娠しないのは先祖へのウガンブスクが原因であるとユタは教えた。ウトはユタに指示されたあちらこちらのウガンジュ(拝所)に美代を連れて行き、先祖の霊の供養をやった。
美代はウガンブスクの意味をウトに聞いたが、ウトは美代のせいで先祖を怒らせてしまったとぶつぶつ文句を言い、美代が理解できない方言で独り言を言った。ウトの独り言は美代への悪口だろうと美代は感じた。

ウガンブスクの意味を知らない美代は祐一に、
「ねえ、祐一。ウガンブスクってどういう意味なの」
と、質問した。
「え、ウガンブスク。知らない」
美代がよそうしていた通り、祐一はウガンブスクの意味を知らなかった。祖先崇拝を根としているユタは、家庭に災いごとが起こるのは祖先へのウガンブスクの性であると教える。
「誰からそんな言葉をきいたのか」
「おかあさんよ」
美代はユタの家に行って、ウガンブスクと言われたウトは急に不機嫌になり、ぶつぶつ文句を言いながら美代をウガンジュ(拝所)に連れて行ったことを話した。
「ふうん。ユタに言われたのだな」
「そうなの。おかあさんは厳しい顔して・・・辛いわ」
美代が落ち込んだのは沖縄に来て初めてだった。いつも明るい美代が沈んでいるので、祐一は心配になった。
「ぼくが職場の人にウガンブスクのことを聞くよ」
「お願いね」

翌日、祐一は年配の人から意味を聞いて美代に伝えた。ウガンブスクとは先祖への供養が足りないという意味であると知った美代は、
「私が妊娠しないのは病気の性なのよ。妊娠しないのを、先祖への供養が足りない性にするのはおかしいわ。」
と言って苦笑した。




2011年02月21日

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短編小説

六月のスイートコーン 5/8

「なにがわからないのか」
と、祐太は訊いた。
祐一の心情としては祐太に沖縄に帰ってほしいが、沖縄に帰ったために美代と別れなければならなくなった祐一には、雄太が沖縄に帰って自分と同じように離婚をするかもしれないという悪い予感があった。だから、沖縄に帰ったために離婚をするよりはそのまま東京に住んだほうがいいと祐一は考えていた。しかし、そのことをうまく説明することはできなかった祐一は、
「どっちでもいい」
と、ぶっきらぼうに答えた。そういいながら祐一の脳裏には涙を流していた美代の顔が浮かんだ。
「どっちでもいいというと、沖縄に帰ってきてもいいし、帰ってこなくてもいいということなのか、お父さん」
「そいいうことだろうな」
苦笑いしながら祐一は酒を飲んだ。祐太は祐一の真意がいまひとつ理解できなくて首をひねった。


美代が沖縄に来て驚いたのは沖縄の方言だった。沖縄は同じ日本であるし、祐一は流暢な共通語を使っていたから、沖縄の方言も注意深く聞けば理解できると美代は思っていた。ところが沖縄の方言は方言というより外国語であり、美代には全然分からなかった。美代は沖縄の方言を覚える努力をしたが、日本語とは違う独特な発音が混じっている沖縄方言を覚えるのに美代は大苦戦した。
グソー(あの世)、ウチャトゥー(仏壇にあげるお茶)、ウヤファーフジ(祖先)、ウサギーン(捧げる)、ヒヌカン(火の神・台所の神)、ウタキ(御獄)、ヴガンジュ(拝所)、チムダカサン(霊感が強い)、ウチカビ(あの世で使うお金)、マブイ(魂)、ウートートゥ(祖先の霊への祈り)などの祭事に関わる言葉や祭事のしきたりを、長男の嫁である美代は早く覚えなければならないとウトは言い、ウトは美代に熱心に教えた。しかし、東京育ちの美代にとって、祖先崇拝を根にしている祭事の言葉の意味をなかなか理解できなかったし、共通語の下手なウトの方言混じり共通語による説明のせいもあり、美代は祭事のしきたりを覚えることが遅かった。そんな美代にウトは苛々した。
美代は祐一に方言の意味や方言に潜む思想について訊ねたが、中学を卒業してすぐに集団就職で本土に渡った祐一は、日常会話の方言は知っていたが、沖縄の宗教に関する沖縄方言の意味や思想については知らなかった。

「ねえ、祐一。ウチカビというのは天国で使うお金なんだってね。天国で先祖様が貧乏生活をしないためにウチカビを燃やして天国に送金するのでしょう」
「へえ、それでウチカビを燃やすのか。知らなかった」
「天国でもお金持ちと貧乏人がいて、お金がないと生活できないというのは嫌だわ。天国ではお金の心配をしない暮らしをしたいわ」
「そりゃーそうだよ。天国でも金持ちと貧乏人がいるとするとこの世と同じじゃないか。それじゃあ天国とは呼べない。地獄だよ」
「そうよね」
「あのさあ、仏教では、死んだらみんな仏様になるんだよね。仏様になるということはお金の心配なんかしないのじゃないか」
「きっとそうだわ。お金がないと生活できない沖縄の天国より、仏教の天国の方がいいな」
「内地はさあ、仏教の国だろう。沖縄の天国と内地の天国は違うんだろうな」
「私は沖縄の天国には行きたくないから死ぬ時は東京で死ぬわ。祐一はどうするの」
「僕も東京で死ぬよ。死んだらお金のない世界で暮らしたいよ」
沖縄のウチカビの話から内地の天国と沖縄の天国との違いに話は発展し、話のこっけいさに若い祐一と美代は笑った。

「ウートート」
「違う。ウートートゥだよ。トではなくてトゥだよ」
「ト」
「違う。トゥ、トゥ、トゥ」
「トゥ」
「そう、トゥだよ」
「ウートートゥ」
「そう、ウートートゥ、カートートゥ、マヤーコートゥ。」
「あれ。なんなのそれ」
「子供の頃はそう言って、ウートートゥを茶化していたよ」
「どういう意味なの」
「知らない。単なる語呂合わせだと思う」
「ふうん。なにか意味があるんじゃないの」
「さあな。僕は友達から聞いて覚えただけだ。どんな伊美がるかは知らない」
由美は祐一の説明に納得がいかなくて首を傾げた。
「きっと深い意味があると思うわ。覚えていたらいつか役に立つかもしれないから覚えたいわ。祐一、私に教えて」
ウートートゥ、カートートゥ、マヤーコートゥは単なる言葉のゴロ合わせであるのだが、美代は深い意味があるかもしれないと考えて祐太から習った。

「マブヤーマブヤー」
「なんだ、それ」
「マブヤーマブヤー。祐一は知らないの」
「知っているよ。子供の頃に、転んだらばあちゃんがマブヤーマブヤーと言っていた」
「マブヤーマブヤーってなんの意味か祐一は知っているの」
と美代に訊かれて祐一は返事に困った。




2011年02月19日

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短編小説

六月のスイートコーン 4/8

「まあな。でもそんな自覚はその頃の私には全然なかった。なにしろ中卒で就職したからな。金型がどうのこうのは関係なかった。ただ、学校の先生が決めた工場で働いただけだ。最初の頃は先輩たちに頭をこづかれてな、泣きながら仕事をしたものだよ。技術を習得するのに必死だった」
「お父さんは東京の生活は楽しかったか」
「ああ、楽しかった」
「お父さんは、その仕事をずっと続けたくなかったのか」
「ううん、あの頃は金型の仕事に固執していなかったが、今から考えるとずっと続けておけばよかったと思う。金型は難しい仕事だったし苦しかった。しかし、楽しかった。変な言い方だが」
「父さんの話の意味は分かるよ。高度な技術を習得するのは大変だけど、習得できたら大きな喜びに変わるということだよね」
「そういうことかもしれないな」
祐一は自分の言いたいことを祐太がすんなりと理解してくれるのが嬉しかった。東京に住んでいる祐太だから分かってくれる何かがあるような気がした。

祐一は中学を卒業すると東京の下町にある従業員が二十名程の小さな金型工場に就職した。十年後に、工場を辞めて沖縄に帰ることになった祐一に、工場長は、
「中卒のお前が沖縄に帰ってもいい仕事にはありつけないぞ。沖縄に帰るな。せっかく十年間もこの工場で金型の技術を勉強したんだ。この工場でもっと腕を磨け。その方がお前の将来のためだ。金型のおもしろさを体験するのはこれからだぞ」
と言って、祐一が工場を辞めるのに反対した。
工場長が言った通り、沖縄には金型の技術しか知らない中卒の祐一にいい仕事はなかった。沖縄に帰った祐一は軍作業や道路工事、建設工事等の肉体労働の職を転々とした。

祐太が沖縄に帰ったら祐一と同じように、東京で習得した仕事を生かすことはできないかも知れないと祐一は予想していた。収入も激減して生活に窮するだろう。それに鶴子は母のウトと性格が似ている。鶴子は、ウトが美代にやったように、沖縄の風習に洋子さんを強引に従わせようとするだろう・・・・。沖縄に帰ってくれば、祐太も祐一と同じように離婚するかも知れないという不安が祐一にはあった。だから、祐太は沖縄に帰って来ないほうがいいと祐一は考えていた。
「父さんも東京で結婚したんだってね」
「そうだ」
「ぼくと同じだ。でも父さんはその人と離婚したんだろう」
「ばあさんが言ったのか。」
「うん。ウトおばあさんは、前の奥さんは根性なしのナイチャー嫁だったと言っていたよ」
祐一は苦笑した。
「そうか。ばあさんが言いそうな言葉だ」
「どこの人だったの」
「東京の赤坂だ」
「へえ、東京の人か。どんな人だったの」
祐一は息子に美代のことを聞かれて困った。美代との恋は初恋であり、美代のことを思い出すと青年の頃の新鮮な美代との甘酸っぱい出会いが思い出される。若い頃の心に戻ってしまうから、息子の祐一に美代の話をするのは気恥ずかしい。祐一は口ごもった。

 二十二歳の時に祐一は会社の事務員をしていた美代と恋をし、若い二人は同棲をした。翌年に美代が妊娠をしたので親に内緒で美代を籍に入れて祐一と美代は事実上の夫婦になった。二人は子供が生まれるのを楽しみにしていたが、過労が原因で美代は流産をした。
流産をした美代は腎盂炎にかかり妊娠がしにくい体になった。二人は子供がほしかったが二人の願いはかなわなかった。
母親のウトに沖縄に帰るように説得されているがどうしようかと祐一が美代に相談した時、美代は
「心と体を安静にすれば、病気は治るし妊娠をすることもできる。」
と、医者に言われていたので、祐一の故郷の沖縄でのんびりと過ごせば病気が治り、子供ができると美代は考え、祐一と沖縄に行くことに賛成した。美代が反対すればしばらくは東京に住みたいと思っていた祐一だったが、美代が沖縄に帰るのに賛成したので東京に未練を残しながら祐一は美代と一緒に沖縄に帰った。

「その人は沖縄に来ることに反対しなかったのか。実は洋子は沖縄に来ることをとても嫌がっているんだ」
「ううん、反対はしなかった」
「へえ、どうして」
「ううん」
祐一は美代が沖縄行きに賛成した理由は子供ができることに期待したからと祐太には話しにくいので返事に窮した。祐一が返事に困っていることに気付いた祐太は、
「お父さんは沖縄に帰ることに抵抗はなかったのか。」
と話を変えた。
「ううん、抵抗はあったなあ。しかし、長男だから沖縄に帰って家を継がなければならないと考えていたから。」
「ふうん。そうなんだ。お父さんも僕に家を継いでほしいの」
と、祐太は訊いた。祐一は、
「ううん」
と口ごもり、腕組みをしながら、
「わからないなあ」
と言った。




2011年02月18日

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短編小説

六月のスイートコーン 3/8

祐一の本音は清二の言う通りである。老人になると体が不自由になり他人の世話を受けないと生きていけなくなる。その不安は祐一にもある。祐一の老後の不安を解消する最良の方法は、祐太を沖縄に呼び戻して祐太の家族と一緒に住み、老後は祐太の家族に世話してもらうことである。
長男の家族と住みたいと思うのは、老後に不安を持つ親の自然な心情であり、その心情は祐一にもあるし祐一の本音でもある。しかし、それは祐一の考えではない。老後の不安をなくすために、祐太を沖縄に呼び戻すことがベストであると祐一は考えていない。祐太を強引に呼び戻したら、祐太の家族の幸せを破壊してしまうかもしれないからだ。祐太の幸せを犠牲にしてまで、自分の老後生活を安全なものにしようとは祐一は考えていない。祐太が帰りたくなって帰ってくるならうれしいことであるが、帰りたくない祐太を、強引に沖縄に呼び戻すことはやらないと、裕太が結婚した時から祐一は心に決めている。
今は老人ホームがある。一人で生活をすることができなくなれば老人ホームに入ればいい。祐太の家族に世話されなくても、なんとか一人でそれなりに生きていける。沖縄に帰って来るかどうかは祐太が決めればいい。祐太が沖縄に帰って来ないなら、それはそれでいい。祐一はそう考えている。
「祐太を早く沖縄に呼び戻さないと手遅れになるぞ。沖縄に帰って来なくなるぞ」
清二はそう言って祐一を脅した。そして、
「ふふ、孫はかわいいぞう。目に入れても痛くないという実感が孫と遊んでいると湧いてくる。お前も祐太を沖縄に呼び戻して孫たちと楽しめばいい」
と言いながら清二の目じりが下がった。
「まあな。」
孫は目に入れても痛くないくらいにかわいいというのは清二の言う通りだ。祐太の家族が帰省した時に、孫たちと触れ合っているとそう感じる。
祐太の家族が沖縄に戻ってきて孫たちと毎日遊ぶことができたらどんなに嬉しいことだろう。しかし、雄太の家族が沖縄に帰ってこないのだから、それはもう仕方がないことだ。
「もう、俺たちは若くない。年取ったら子供に面倒を見てもらわなくてはならない。お前はウトさんの面倒を見ているのだろう。お前を祐太が面倒を見るのが親子の摂理というものよ。祐太が沖縄に帰って来なかったらお前は独りでさびしく生きていかなければならないぞ」
「そんな心配をするのはまだ早いよ」
「お前は甘い。元気なうちに長男夫婦と同居したほうがいいのだ。今は孫の面倒をみることができる。今のうちに助け合っていれば、年取った時に世話になることができる。お前も祐太を早く呼び戻したほうがいい。早く呼び戻さないと手遅れになるぞ」
清二は言いたいことを言うと、
「おう、もうこんな時間か。長話をしてしまった」
と言って、さっさと帰っていった。

清二が帰ったので、祐一は畑に戻り、再びスイートコーンの根を掘り返す作業を始めた。
・・・祐太を早く呼び戻さないと手遅れになるか・・・。清二の言ったことを思い出し祐一は苦笑した。祐太を早く沖縄に呼び戻さないと「手遅れになる」と三年前に死んだ妻の鶴子は口癖のように言っていた。 
祐太は洋子さんと結婚する時に、東京で職場の友人たちだけを招いて、ホームパーティー式の質素な結婚式を挙げようとしていた。しかし、鶴子はそれを許さず、沖縄で親類縁者を招いて、盛大な結婚式を挙げた。鶴子が強引に沖縄で結婚式を挙げたのは、祐太は大城家の長男であり、大城家を継がなければならない人間であるという鶴子の気持ちの表れであった。そして、祐太が長男の宿命を背負っているという祐太夫婦への鶴子の通告でもあった。
祐太が結婚してからは、そのまま放っておくと祐太は沖縄に戻って来ないかもしれないと、鶴子は心配するようになった。鶴子は正月や旧盆が近づくたびに、祐太に何度も電話をして、沖縄に帰って来るように説得した。そして、祐太が沖縄に帰って来ると、長男である祐太は大城家を継がなくてはならない運命であると説いて、早く沖縄で生活するようにと説得した。その様子は、母のウトが若い頃の祐一を説得していたシーンを再現しているようだった。祐一は鶴子が祐太を説得している様子を見ていると、美代と離婚しなければならなかった若い頃の苦い経験が思い出され、その場から離れた。
祐太に最初の子供が生まれた時も、
「早く沖縄に帰って来て」
と、鶴子は祐太にしつこく迫った。
「子供が幼稚園生になる前に祐太を沖縄に戻さなければ手遅れになる。」
と、鶴子は不安がり、
「ナイチャー嫁に祐太を取られたら大変だ。早く祐太を沖縄に呼んでナイチャー嫁には沖縄のしきたりを教えなければ。」
と、鶴子はあせり、
「仏壇を祐太に継がさないと先祖に申しわけない。」
と、鶴子は嘆いた。
 四年前の旧盆に里帰りした祐太に、大城家のためだからぜひ沖縄に戻って来てと鶴子は必死に祐太を説得し、終いには、帰って来なければ親子の縁を切ると祐太を脅した。しつこく説得する母親に祐太は困り果てていた。
 その夜、祐一は祐太を連れてスナックに行った。
「東京はいいか」
「まあな」
「仕事は楽しいか」
「ううん、楽しいと言えるかもしれない」
「父さんもな、東京に住んでいたことがある」
「ウトおばあさんから聞いたことがあるよ。お父さんは集団就職で東京に行ったんだって」
「そうだ。あの頃は高校に進学しない中卒のほとんどは集団就職で本土に渡った」
「お父さんはどんな会社で働いたのか」
「金型工場だ」
「ふうん。金型工場か」
「ほう、祐太は金型を知っているのか」
「そりゃあ知っているさ。日本の金型技術の水準は世界一だよ。父さんは日本の誇る物造りの仕事をしていたんだ」




2011年02月17日

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短編小説

六月のスイートコーン 2/8

祐一はウトの言葉を無視してスイートコーンの箱詰め作業を続けた。箱詰め作業が終りかけた頃に祐一の側に再びやって来たウトが、
「私をスーパーに連れて行け」
と言った。ウトは外行きの服に着替えていた。ウトは祐一の作業を無視して、早くスーパーに連れて行くように祐一をせきたてた。
ウトは東京に住んでいる祐太にスイートコーンを送るのは愚かであるという口振りであったが、ウトにとって孫やひ孫は可愛い存在であり、長男としての責任を負わない孫であっても可愛いことに違いはない。ひ孫だとますますかわいい。祐一がスイートコーンを孫の家族に送ると知ったウトは自分もかわいい孫の家族に送り物をしたくなったのだ。
「ほれ、早く」
とウトがせきたてるので、祐一はスイートコーンの箱詰めを中断して、ウトをスーパーに連れて行った。
ウトが祐太の家族に送る定番は黒砂糖、ちんすこうなどの沖縄産のお菓子とヨーロッパから輸入しているポーク缶詰である。ウトはスーパーで東京に送る商品を買い、それを詰めるダンボール箱をもらった。
祐一は家に帰ると、スイートコーンをダンボール箱に詰めた後に、ウトがスーパーで買ってきた商品もダンボール箱に詰め、近くのコンビニエンスに持って行って、宅急便で東京に送った。

 翌朝、祐一は実を刈り取ったスイートコーンの茎を切り、根を掘り返す作業をしていた。風のない初夏の朝は畑仕事をするとすぐに汗が吹き出る。祐一は流れ出る汗をタオルで拭きながら黙々と畑仕事を続けた。
「やあ、祐一。精が出るのう」
という清二の声が聞こえた。
「おう、清二」
清二は近くに住んでいる同級生である。時々、朝の散歩の途中で祐一の畑にやってきて、祐一とよもやま話をやる。清二が来たので、祐一は鍬を置いて畑から出た。そして、清二と一緒に畑の側に座りよもやま話を始めた。
「スイートコーンを収穫したのか」
「ああ」
「次はなにを植えるのだ。」
「サニーレタスやチキナーを植えようと思っている」
最近、清二は長男夫婦と一緒に住むようになった。祐一が長男の家族と住んでいないことを清二は気になるようで、
「祐太はまだ東京に住んでいるのか」
と、祐太のことを訊いた。
「ああ、東京に住んでいる」
「子供は何人だ」
「誰の」
「祐太の子供だよ」
「ああ、祐太の子供か。祐太の子供は三人だ」
「三人か。たしか祐太はコンピューター会社で働いていたな」
「違う。コンピューターで株の売買取引をするインターネット証券会社だ」
「ああ、そうか。俺にはよくわからん会社だ。ところで祐一、裕太はいつ沖縄に帰って来るのだ。祐太は長男だろう。長男は沖縄に帰って来なければならないだろうが。祐太はいつ沖縄に帰って来るのだ」
「さあな」
と、祐一はぶっきらぼうに言った。祐一は、長男は沖縄に帰って来なければならないと考えている清二と祐太の話はやりたくなかった。
「おいおい。『さあな』ではないだろう。祐太は長男だろう。沖縄に呼び戻さなくては駄目だよ」
「そうかなあ」
「そうだよ。お前はのんきな男だなあ」
清二は祐太を沖縄に呼び戻そうとしない祐一に呆れた。
「お前が年寄りになって足腰が立たなくなったら誰がお前の世話をするのだ。お前の世話をするのは長男の祐太だろう。今は元気だから世話を受けなくてもやっていけるが、八十歳九十歳になってみろ。頭はぼけるし体は不自由になるぞ」
「母は八十五歳だが元気だ」
「しかし、元気だといってもウトさんはお前が面倒をみなければならないのだろう」
「面倒を見ているというほどのことはしていないよ」
と、祐一は言ったが、清二は、
「とにかく年寄りになれば長男の家族の世話にならなければならないんだ。お前は八十歳九十歳になっても独りで生活をするつもりか」
と、清二は祐太を沖縄に呼び戻さなければならない理由を説いた。祐一は返事に詰まり苦笑した。
「正直になれよ。お前の本音は祐太に帰ってきてほしいのだろう。せっせと野菜を作って東京に送っているのも、祐太を沖縄に呼び戻したい気持ちがあるからだろう」
「そんなのじゃないよ」
と、祐一は言ったが、清二のストレートな話は祐一の胸の奥を鋭く突いていた。




2011年02月16日

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短編小説

六月のスイートコーン 1/8

梅雨の季節が過ぎて、スイートコーンの実が熟する初夏がやって来た。
涼しい空気が漂っている早朝、祐一はスイートコーンを収穫するために鎌とかごを持って家を出た。風のない静かな朝。歩くとひんやりとした空気が顔や手に触れて気持ちいい。
大きながじゅまるの木がある門を出て、左に曲がり、百メートルほど歩いていくと、スイートコーンが植わっている畑に到着する。畑の回りの雑草の緑葉には小さな露たちが白く輝いている。土の表面はしっとりと濡れている。祐一は畑に足を踏み入れた。畑といっても二百坪に満たない小さな畑だ。
畑の一角には、祐一の背より高くなっている三十本のスイートコーンが静かに植わっていた。スイートコーンを植えたのは今年が初めてだ。初めて植えたスイートコーンがうまく育ってくれるか心配だったが、冬から春に変わる頃の涼しい季節に植えたスイートコーンの苗はぐんぐん成長し、春の終わり頃には実をつけ、梅雨の慈みの雨の日々に、実は着々と成長していった。やがて、実の先端からはひげが生え、茎の先端からは花が咲いた。梅雨が明けて、六月の半ば頃になると、スイートコーンは見事な食べごろの実になった。
畑にはさつまいもやピーマン、なすび、じゃがいもなど食事のおかずにするのを植えていたが、今年の正月に里帰りしてきた、東京に住んでいる孫たちの好きな食べ物がスイートコーンだと聞いたので、祐一は孫たちのためにスイートコーンを植えた。スイートコーンを眺めていると、孫たちがおいしそうにスイートコーンを食べている姿が浮かんできて、祐一の顔から笑みがこぼれる。
祐一はかごを足元に置いて、スイートコーンの収穫を始めた。スイートコーンの実は祐一の胸と同じくらいの高さについている。大きな葉を振り払い、スイートコーンの実を左手でぐいと掴んで、横にひねりながら下に曲げて、実の根元を鎌で刈った。刈り取ったスイートコーンはずしりと重く実が詰まっている。「うわー、じいちゃんのスイートコーンは重いなあ」と孫の祐太郎くんが驚いている姿を想像して祐一はにんまりした。にんまりした後に、「そんなことはないか」と呟いて苦笑した。
祐一は次々とスイートコーンを刈り取ってかごに入れた。三十本目のスイートコーンを刈り終えた頃には、東の空から姿を現した太陽の赤い陽射しが畑に降り注ぎ、畑に植わっているさつま芋やセロリやおくらなどの野菜たちが赤っぽく輝いていた。
祐一はスイートコーンで一杯になったかごの前に座り、かごからスイートコーンを一本づつ取り出して、濃い緑の固い皮を剥ぎ取り、柔らかい皮だけを残した。スイートコーンの皮剥ぎの作業が終ると、祐一はかごを抱えて家に帰った。

スイートコーンは早く食べた方がおいしいと聞いている。祐一は収穫したスイートコーンはできるだけ早く東京に送って、おいしいスイートコーンをかわいい孫たちに食べさせてやりたいと思っている。祐一は冷えたお茶を一杯飲んでから、スイートコーンを東京に送る準備を始めた。
縁側にスイートコーンの入ったかごを置くと、祐一は老眼鏡をかけた。スイートコーンをひとつひとつ手に持ち、虫がついていないか、葉が枯れていたり実が黒ずんでいたりしていないかを丁寧に調べた。それから大きくて重いスイートコーンを二十本選んだ。二十本のスイートコーンの根をきれいに切り取り、コンビニエンスからもらってきたダンボール箱に、スイートコーンをひとつひとつ新聞紙で包んで入れた。
「私が丹精に作ったスイートコーンです。スイートコーンには祐太、洋子さん、祐太郎くん、祐治くん、美鈴ちゃんへの私の愛情がこもっています。みんなで仲良く食べてください。」
と書いた手紙を、祐一はスイートコーンの入った箱に添えたかった。しかし、祐一は露骨な愛の表現を恥ずかしいと感じる時代の人間である。祐一は愛の手紙をスイートコーンの箱に添えることはできなかった。

 スイートコーンを箱詰めしていると、背後から母のウトの声がした。
「そのとうもろこしはどこに送るんじゃ。」
ぶっきらぼうなウトの声に、祐一の楽しいひとときはかき消された。
「東京に送る。」
祐一はウトに背を向けたまま答えた。
「祐太に送るんか。」
とウトは訊いた。
「そうだ。」
と祐一が答えると、
「どうせ、祐太は沖縄に帰って来ないのじゃろう。詰まらないことをするもんじゃ。」
とウトは吐き捨てるように言った。沖縄に帰って来ない祐太にスイートコーンを送るのは愚かであるという口振りである。
 家は代々長男が継ぐものであるとウトは考えている。祐太は祐一の長男である。だから、祐太はこの家を継がなければならないとウトは思っている。それなのに祐太は三十歳を過ぎても、旧盆や正月に里帰りはしても沖縄で済む気配は全然ない。「祐太は長男としての義務を果たしていない」と、祐太の話が出るたびにウトは愚痴をこぼした。スイートコーンを箱詰めしている祐一に、長男としての義務を果たしていない祐太にスイートコーンを送るのは詰まらない行為であるとウトは言いたいのだ。
ウトの嫌みのこもった言葉に、祐一はむっとしたが、なにも言わないで作業を続けた。作業をしながら祐一は心の中で、
「東京に住む方が、沖縄に住むより幸せに暮らしていけるのなら、東京に住めばいい。祐太は無理して沖縄に帰って来なくていい。私と同じ辛い体験はしない方がいい」
と呟いた。

祐一は中学を卒業すると集団就職で本土に渡り東京で働いた。そして、東京で生まれ育った美代と出会い、祐一は二十三歳の時に美代と結婚した。結婚した二年後に、「家は長男が継ぐもの」であると考えるウトによって、祐一は強引に沖縄に呼び戻された。東京の生活に未練があったが、祐一は美代と一緒に沖縄に帰った。しかし、沖縄に来てから三年後に祐一は美代と離婚しなければならなかった。
「祐一を愛している。祐一と暮らしたい。でも、沖縄で生活するのはもう限界。ごめんね、祐一。」
という言葉を残して、美代は祐一から去っていった。祐一にとって愛している美代との別れはとても辛かった。辛い離婚を経験した祐一は、自分の息子である祐太には自分と同じ辛い体験をさせてはならないと心に決めていた。




2011年02月11日

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短編小説

1971 Mの死 最終

私は男子寮に住んでいなかった。私は男子寮に近い所で間借り生活をしていたので、銭湯賃がもったいなくて男子寮のシャワーを利用していた。その性でMは私が男子寮に住んでいると勘違いしていたのだろう。
「俺は寮には住んでいないよ」
と私は言った。
「住んでいないのか」
「ああ」
「そうなのか」
Mはがっかりした様子だった。そして、
「寮に行って話をしないか」
と、Mは私を誘った。
間借り部屋に帰り、ラーメンを食べる以外に予定はなかったが、Mと話すということは、Mが抱えている「家族闘争」について話すということである。私はMと「家族闘争」のことを話し合う気にならなかったから、
「いや。用事があるから」
と嘘をついて断った。
「そうか」
Mは残念そうに私を見つめた。話を続けたそうにしているMに、
「じゃな」
と言って、私は間借り部屋に帰った。自治会室から漏れている蛍光灯の白い光をバックにして、Mは名残り惜しそうに立っていた。

私は図書館の側の細い階段を下り、大通りに出、男子寮の前を通って、当の蔵の間借り部屋に帰った。ラーメンを食べ、数人の友人たちと談笑した。私はY公園で革靴をなくしたことや、裸足でバスに乗った話をした。この話は友人たちに大受けして、大笑いされた。
深夜になり、私はタオルと石鹸を持って男子寮に向かった。男子寮の玄関に来たとき、異様な雰囲気を感じた。玄関には見知らぬ学生たちがたむろしていた。玄関の奥にも学生たちが動き回っていた。学生たちは興奮状態であり、目が異様だった。ただならぬ雰囲気に私はシャワー室に行くのをやめて、道路に出ると男子寮の裏に回った。用心しながら男子寮の敷地に入ると数人の寮生が居たので、
「どうしたんだ。なにかあったのか」
と訊いた。
彼の話では男子寮が襲撃されたということだった。そして、負傷をした学生が病院に運ばれたらしいと話した。私は男子寮に入るのをあきらめ、R大の自治会室に行った。自治会室には数人の学生が居た。学生たちは非常に緊張していた。私は負傷して病院に運ばれた学生の名前を訊いた。
「MとKだ」
「え、Mが」
数時間前にR大学のキャンパスで話したMが怪我をしたというのに私は驚いた。
「どのくらいの傷を負ったのだ」
「Mは重症らしい」
「本当か」
「ああ」
ゲバ棒で襲うときは命を奪う危険を避けるために腕や足を狙った。だからMが重症と訊いた時、私はMが腕か足を折られたのだろうとしか考えなかった。私は、Mが足にギブスをして杖をつきながら男子寮の廊下を歩いているイメージが沸いた。
「僕らは詳しい情報は知らない」
彼は他の学生はプレハブ教室に居ると言い、そこに行けば詳しい情報が入るだろうと言った。私はプレハブ教室に向かった。

プレハブ教室には十人近くの学生が居たが、彼らの顔は暗く沈んでいた。私はMの容態を聞いた。するとMは命の危険があるくらいに重症だと話した。そして、多加子さんが詳しい情報を得るために病院行っていると話した。Mが命の危険があるくらいに重症だということは私には信じられないことだった。Mは無防備の状態で襲われたのだから抵抗はできなかったはずだ。だから、攻撃する人間も手加減をしたはずだという私の先入観があった。それにゲバ棒で狙うのは腕や足であり、命を奪うような攻撃を避けるのが私たちの倫理であった。私の予想ははずれていた。重苦しい空気が覆っている教室で私は多加子さんが来るのを待った。
数時間後に、病院から報告に来た多加子さんから私たちはMが死んだことを知らされた。

Mの死を知った時、信じられない出来事に私の頭の中は真っ白になり、私は、怒りや悲しみではなく、体中がいいようのない虚無感に包まれ、「なぜ・・・なぜ・・・。」と、答えを出すことができない自問を反芻していた。


一九六八に沖縄の歴史上初めての主席の公選選挙があった。始めて公選選挙で沖縄の主席が選ばれるという歴史的な一ページに私は参加して街頭アジテーションをやったり、買収をさせないためにある婦人グループを尾行したりした。しかし、私は選挙というものが俗的で民主主義の運動とは無縁な世界であるというのを感じ革新政治に失望した。
一九六八年に嘉手納飛行場で重爆撃機B52の墜落炎上があり、翌年の一九六九年には「命を守る県民共闘会議」が設立された。しかし、「命を守る県民共闘会議」の代表者は、沖縄が戦争に巻き込まれる可能性は全然なかったのにアメリカ軍基地があるから沖縄が戦争に巻き込まれる恐れがあると「命どぅ宝」を盛んに吹聴した。
しかし、世界最高の軍事力を誇るアメリカ軍に戦いを挑む国はアジアには一国もなかった。沖縄が戦争に巻き込まれる恐れは全然なかったのだ。しかし、命を守る県民共闘会議は「人間に一番大事なものは命であり、命を奪う戦争の危険を沖縄からなくすためにはアメリカ軍基地の撤去が必要である」と「命どぅ宝」をキャッチフレーズにした運動を展開した。私には「命どぅ宝」をキャッチフレーズにした「命を守る県民共闘会議」の運動は、沖縄戦で戦争恐怖を体験した人々のトラウマにつけこんで革新政党への支持を拡大する選挙戦略に見えた。

高校時代から私は「祖国復帰すれば核も基地もない平和で豊かになる」という祖国復帰運動には納得していなかった。琉球政府主席公選選挙の時は選挙運動に失望した。また、命を守る県民共闘会議が戦争恐怖をあおることに綿は反発していた。そんな私は革新政党を批判する学生運動グループに傾斜していった。ところが私が参加した学生運動は次第にエスカレートしていって大衆運動から離れていき、交番所を焼き討ちしたり、ゲバ棒で機動隊とぶつかり合ったりした。革命にはほど遠い沖縄の現実の中で過激な行動に突き進んでいく学生運動に私は反発し、学生運動から離れていく決心をした。
革新政治に反発し学生運動にも反発した私は政治の世界に身を置くところはなくなっていた。
Mは学生運動を続け私は学生運動から決別しようと決心していたが、Mと私は同じ運命を背負ってきた沖縄の悩める若き青年であった。
沖縄の激しい政治の季節の中で、私とMは、R大学の学生であったがゆえに学生運動に走った。そして、家族を愛していたがゆえに沖縄の古い因習に悩んでいたMと私。Mと私の違いは、私は学生運動をしていることを家族に話さないことに平気であったが。Mは学生運動に参加していることを家族に打ち明けなければならないと思いながらも打ち明けることができなくて悩んでいた。
嘘の理論に固められた祖国復帰運動と現実の情勢を無視して過激な行動をする学生運動の狭間にMと私のような若者は悩みながら生きていた。そして、家族に自分の素直な考えを話すこともできずにMは死んだ。私は、Mは沖縄の矛盾した政治状況に殺されたような気がする。
 
Mが死んだ日から、もう、四十年近くなる。

トタン屋根の古い木造の演劇クラブ室で、
「女郎屋へ。くそ、女郎屋へ。」
と、くそ真面目な顔で、口から唾を飛ばして叫んでいたMの顔を思い浮かべると、今でも、苦笑してしまう。




2011年02月08日

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短編小説

1971 Mの死  8/9

私が学生運動をやっていると親に告白しても、長男が仏壇と家を継ぎ、親の面倒を看るのは絶対に守らなければならないと考えている親が私を勘当することは絶対にあり得ないことだった。親は怒って私を勘当するのではなく、反社会的な行動をしている私が就職できるだろうかと心配し、御先祖様に申しわけないとか、世間に白い目で見られる弟や妹の将来が心配であるとか、村の人や親戚に恥ずかしくて顔を合わすことができないなどと嘆き悲しみ、私に学生運動を止めてくれと必死に頼んだだろう。母は精神的にまいって病気になったかもしれない。だから、私は親に学生運動をやっていると告白することはできなかった。もし、私の親が気丈な人間で、Mの親のように長男であろうと勘当するのなら、私は学生運動をやっていることを喜んで親に告白していただろう。
私にとって勘当されるということは歓迎することであったから、
「勘当されればいいじゃないか。親に頼らなくても俺たちは生きていける」
とMに言った。するとMは困惑し、
「いや、それはまずい」
と言った。
「なにがまずいんだ。勘当されれば、親の束縛から解放されて、自由に生きることができていいじゃないのか」
と私が言うと、
「いや、僕は長男だし、妹が居るし・・・」
とMは言葉を濁した。
「そんなのは関係ないよ」
と、私が言うと、
「いや、僕は長男だから家を継いで親の面倒を看なければならない。それに、兄として妹のことも考えてあげないとな」
Mは長男しての義務を認める言い方をした。
「家か、親の面倒か。」
私は、Mに失望しながら呟いた。
私が長男の呪縛から解放されたくても解放されないジレンマに悩んでいるのに、Mは長男の呪縛を自分から受け入れていた。私は学生運動をしている学生は沖縄の古い因習を批判し、長男の家督相続思想を否定していると信じていた。しかし、現実は違っていた。私と同じ世代であり、私と同じ長男であり、私と同じ思想の学生運動をしているMが、長男の家督相続思想を受け入れていた。隣に座っているMが沖縄の古い因習を受け入れているのを知り、Mに呆れたが、しかし、私も沖縄の古い因習を否定していても、その呪縛の鎖を断ち切ることができないのだからMと同類の人間であった。Mと話しながら私は滅入っていった。
「親を説得する方法はないのかな」
とMが言った時に、私はカーっと頭にきて、
「ない」
と、激しい口調で言った。Mは私の突き放した言葉にショックを受けたようだった。Mは黙った。私も黙った。二人の間に沈黙が続いた。頭上のカジュマルの枝葉に風が吹いている音が聞こえ、Mの重いため息が聞こえた。
 
 共産社会とはどんな社会であるかを語り合い、ロシア革命や国家の死滅論を語り合い、マルクスを語り合い、祖国復帰運動を批判し、将来に革命を夢見ながら、一方では沖縄の古い因習の束縛から解き放つことができない。そんな若者が私とMのような学生であった。

Mの吐いたため息でMの悩みの重たさを感じることはできたが、私は私の悩み、演劇上演ができるかどうかの不安、卒業ができるかどうかの不安、親と絶縁して自由に生きる勇気のないジレンマ、社会に出たらどのように生きていけばいいのかなどなどを抱えている若者の一人であった。Mが学生運動と家族愛の板ばさみに深刻に悩んでいるのを理解はしても、私は私の悩みでいっぱいいっぱいであり、自分の悩みを横に置いて、Mの悩みの相談相手になることは私には無理だった。 
Mは、私と話す言葉を探しているようだった。しかし、見つけることができないまま、沈黙の時間が二人の間に流れていった。
キャンパスに、急に突風が吹いて、木々が騒ぎ出し、頭上のガジュマルの枝葉は激しく揺れた。暫くして風が止み、キャンパスが静かになった時、
「マタヨシさん」
と、私の名を呼ぶ声がした。その声は、多加子さんが帰ってきたら、私のことを多加子さんに伝えてくれるように頼んだ学生の声だった。
「こっちだ」
私は返事をした。
「多加子さんが帰ってきた。自治会室に来てほしいって。」
と、学生は言った。
「そうか、分かった」
私は立ち上がり、自治会室に向かった。Mも私の後ろからついてきた。
 多加子さんは数人の学生運動家と深刻な顔で話し合っていたが、私が自治会室に入ると、私を振り向いた。
「俺の革靴は見つかったのか」
「ごめん。見つからなかったわ」
革靴が見つからなかったと聞いて私はがっかりした。Tさんは足元に置いてあった古い運動靴を取り、
「この靴を履いて」
と言った。
「誰の靴なのか」
と私が訊くと、
「知らない。自治会室にあったわ」
と言った。Tさんの持っている運動靴は萎びていて臭かった。他人の汚れた靴を履くのは気持ち悪いし、足がむず痒くなりそうだ。私は裸足で帰ることにした。
「いいよ」
と私が言うと、Tさんは、
「裸足はいけないわ」
と言い、自治会室の奥の方からゴム草履を探してきて、
「これを履いて」
とゴム草履を私に渡した。私はゴム草履を履き、自治会室を出た。
「マタヨシ」
Mが私を呼び止めた。振り返ると、
「寮に帰るのか」
とMは訊いた。私は男子寮に住んでいなかった。なぜ、Mが「寮に帰るのか。」と言




2011年02月07日

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短編小説

1971 Mの死  7/9

私は、親の話なんかやりたくないという意を込めて、
「農民だ」
と、ぶっきらぼうに言った。
「そうか、農民か」
と言った後に、Mは暫く黙っていた。Mはじっと動かないで闇を見つめていたが、
「僕の親はコザ市で洋服店をやっている」
と、自分の親の仕事のことを話した。
「客の多くは嘉手納アメリカ空軍基地のアメリカ人だ」
と言い、ため息をついた。
コザ市はアメリカ軍人や彼らの家族を客としている商売が多く、アメリカ人を客にして繁盛していた。Mの親もそのひとりだった。
Mの話に興味のない私は黙っていた。私の言葉を待っているMだったが、私がなにも言わないので、暫くすると、
「マタヨシは妹が居るか」
と訊いた。え、それで親の話は終わりかよ、と私は苦笑し、Mが話下手だったことを思い出した。演劇クラブ室での会話や酒宴の場での会話でMから話すことはなかった。質問されたら質問にだけ答える一問一答の対話しかMはやらなかった。Mとの対話はすぐに途絶えるのが普通だった。
Mの質問に、私は、
「居る」
と、一言の返事をした。Mは、
「そうか」
と言い、暫く黙っていたが、
「僕も妹がいる」
と闇を見つめながら言った。Mの声は暗く重かった。
「僕の妹は専門学校に通っている。来年は卒業だ」
Mは言葉を止めた。そして、
「しかし」
と言った後、ため息をつき、それから、
「僕が学生運動をしていることが世間に知れたら、妹の就職に悪い影響を与えるかもしれない」
と、また、ため息をつき、
「マタヨシの妹は仕事をしているのか」
と私に訊いた。
「している」
「どんな仕事をしているのか」
「さあ、知らない」
「知らないの。」
Mは驚いて訊き返した。私の妹はある建設会社の事務員をしていたが、妹の話をしたくない私は、「さあ、知らない」と答えた。
「弟は居るのか」
と、Mは訊いた。
「居る」
と私が答えると、
「そうか、弟も居るのか」
とMは言い、Mに弟が居るとも居ないとも言わないで、Mは黙った。暫くして、
「マタヨシの親はマタヨシが学生運動をやっているのを知っているのか」
と、今度は弟ではなく親の話に変わった。
「いや、知らない」
と私が言うと、
「そうか」
と言い、Mは少しの間黙ってから、
「マタヨシの親は保守系なのかそれとも革新系なのか」
と、また、質問の内容を変えた。
主席選挙の時、貧しい私の父母は区の有力者に恩納村の××温泉に招待された。母は初めて行った××温泉に喜び、有力者に感謝した。そして、有力者の指示に従い、保守系の候補者に投票した。つまり、私の父母は買収されたのだ。しかし、私の父母には買収されたという自覚はなかったし、罪悪感もなかった。私の父母は保守か革新かではなく、昔からのしきたり通りに地域の有力者に従うだけの人間であった。区の有力者が保守系だったから私の父母も保守系ということになる。
「保守系だ」
と、私が言うと、
「そうか、保守系か。僕の父も保守系だ」
と言った。Mは暫く黙っていたが、
「マタヨシは親に学生運動をやっていることを話すつもりはないのか」
と訊いた。私は学生運動のことは一切親には話さないと決めていたから、
「話すつもりはない」
と言うと、
「どうして話さないんだ」
と、Mは真面目な顔をして言った。私はMにあきれた。
「俺たちの政治思想を話しても、俺たちの親が理解できるはずがない」
と言うと、Mは、
「そうだな。そうかも知れないな」
と言い、ため息をついた。

綿はMと話しながらMが「家族闘争」に悩んでいることが分かってきた。しかし、私はMに同情はしなかったし、「頑張れ」と励ます気にもならなかった。私とMは同い年であり、二人は五年次になっていた。もう、学生としては古参である。古参であるMが「家族闘争」に悩んでいるのはむしろ滑稽に思えた。Mは真面目であり、真剣に「家族闘争」をやろうとして悩んでいるかも知れないが、「家族闘争」はすでにそれぞれの学生がそれぞれのやり方で「処理」しているはずのものであった。Mは学科委員長をやった経験もあるのだから、「家族闘争」はすでに「処理」し、解決しているのが当然であった。
「マタヨシはこれからも家族闘争をやらない積もりなのか」
とMは訊いた。私は学生運動から離れていたから「家族闘争」する必要はなくなっていた。しかし、Mにストレートに「学生運動をやめた」と言えない私は、
「親にどんな風に話せばいいのだ」
と返事した。「話せるはずがない」と、学生運動のことを親に理解させるのは不可能であると言う意味で私は言った積もりだったが、Mは勘違いして、
「そうなんだよな。どのように話せばいいのか、それが非常に難しいんだよな」
と呟いた。親に理解させる可能性がゼロではないと信じているMに私は苦笑した。Mは、
「親にどのように説明すればいいか。分からなくて困っている」
と嘆いた。

「家族闘争」の可能性を信じているMは、真面目で純真であると言えば聞こえはいいが、Mには戦前育ちである親たちの思想を認識する能力が欠けているのだ。私は、「家族闘争なんかできるはずがない。止めろ」とMに言いたかったが、「家族闘争」に真剣に悩んでいるMが私の忠告を素直に聞き入れるはずはない。私は忠告するのを止めて黙っていた。
Mは体躯がよく姿勢もよかった。座っているときも背筋をまっすぐに伸ばしていた。演劇クラブ室で車座になって酒を飲んで酔ったときも、Mは背筋をピンと伸ばしていたので、「Mはまるで軍人みたいだ」と揶揄したことがあった。Mは三年前と同じように背筋を伸ばして、真正面の闇を見つめ、身じろぎもしないで座っていた。暫くしてMは、
「マタヨシは兄さんは居るか」
と訊いた。興味のない質問だったが、
「いや、居ない。」
と答えた。Mは暫く黙ってから、
「マタヨシは長男か。」
と訊いた。
「ああ。」
と私が答えると、Mは、
「そうか。長男か」
と言い、
「僕も長男だ」
と言った。そして、
「学生運動をしていることを父に話すと、父は確実に怒るだろう。頑固な父だから、長男である僕でも勘当するかもしれない」
と言って、ため息をついた。
「勘当されるのか」
私は訊き返した。
「されるだろうな」
と言ったMの声は沈んでいた。
 私は親に勘当されたかった。しかし、長男である私を親が勘当することはあり得ないことだった。
親に束縛されないで自由に生きたい私は、「弟は俺よりしっかりしているから、弟が家を継いだほうがいい。弟が家を継ぐなら俺は家の財産は一銭ももらわなくていい。」と母親に話すと、母親がすごくショックを受け、嘆き悲しんだ。母親を嘆き悲しませてまで自由になる勇気のない私は主張を引っ込めざるをえなかった。
大学を休学して、一年くらい東京に住んでみたいと私が言った時も、母親は私が東京に行ったら一生帰ってこないという被害妄想に陥り、姉に私の東京行きを引き止めるように頼んだ。私は、九歳年上の姉に、長男としての義務と責任についてこんこんと説教された。姉の理論には納得しなかったが、母親のために私を説教する姉に母親や私に対する愛情が感じられ、私は東京行きを断念した。
今から考えると母親の「第六感」も鋭かったと思う。私は一年で沖縄に戻ってくるつもりだったが、もし、私が東京に行っていたら、沖縄に戻っていなかった可能性が高い。




2011年02月05日

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短編小説

1971 Mの死  6/9

私が入学した年の四月に、演劇クラブはベケットの「勝負の終わり」を上演し、その年の秋の大学祭に「闘う男」を上演した。しかし、リーダーの大城が中退すると、翌年には「黒ん坊たち」を上演しようとしたが色々なことが起こって頓挫した。それからの演劇クラブは三年間も上演しない状態が続いていた。
このままだと演劇クラブは廃部になる恐れがあった。私は歴史のあるR大学演劇クラブを廃部にした人間にはなりたくなかった。なんとしても演劇上演をやりたい私は、部員が私を含めて四人だけになってしまった状況の中で、三人だけが登場する「いちにち」という戯曲を書き上げ、役者の経験がない新人部員の三人を一から鍛えながら練習を続けていた。三人の中の一人でも退部すれば上演はできない。上演に辿りつけるかどうか不安を抱えながら私は演劇クラブを運営していた。
私の苦しい状況を知らない無神経なMの質問にむっとした私は、
「ああ」
と、ぶっきらぼうに答えた。
「そうか」
と言ったMに、私は無意識にソッポを向いていた。
私の側に座ったMは、「そうか」と言った後、次の言葉がなかなか出なかった。私はMと話す気はなかったし、話す材料もなかったので黙っていた。Mは黙り、私も黙っていた。暫くして、
「伊礼はどうしているか」
とMは聞いた。伊礼はジャン・ジュネの「黒ん坊たち」を持ち込んだ学生であり、伊平屋島でMと一緒に山羊を捕まえた学生だ。私より一年先輩だった彼はすでに中退していた。
「中退したよ」
「そうか、中退したのか。・・・・新城はどうした。新城は卒業したか」
新城は私より二年先輩で「勝負の終わり」でハムを演じた学生だった。彼は演出の能力がなく、二年前にアラバールの不条理劇「ファンドとリス」の上演を目指したが頓挫した。
「卒業した」
「就職したのか」
「ああ」
「なんの仕事をしているのか」
「黒真珠のセールスをしている」
「そうか」
と言って、Mは黙った。
Mは演劇クラブの近況を聞くために私の所に来たのではないだろう。Mがなにを私と話したいか知らないが、私は、演劇の話にしろ、政治の話にしろ、Mと話し合う気にはならなかった。
「みんな、もう居ないか」
Mはしみじみと言った。
Mが演劇クラブに居た頃の学生は、私以外は誰も居なかった。伊礼、比嘉、高安、ナエたちは中退して演劇クラブを去った。新城、仲里、喜舎場、ミヨちゃんたちは卒業して演劇クラブを去った。私だけが中退も卒業もしないでまだ演劇クラブに残っていた。Mは演劇クラブを懐しんでいたが、私にとって演劇クラブは現在進行中であり、孤独で厳しい闘いを強いられている現実であった。演劇クラブを懐かしんでいるMに私は苛ついた。
Mと話したくない私は黙っていたが、
「そうか。みんな居なくなったか。居なくなって当たり前だな。」
と、Mは独り言を言った。そして、黙った。私も黙っていた。
暫くして、Mが、
「マタヨシは家族闘争をやったか」
と言った。演劇クラブの話から、唐突な話題の転換であった。Mが私の所にやって来た目的は「家族闘争」について話したかったからだと私は察知したが、私にとって、「家族闘争」は時代遅れの話題でしかなかったから、
「はあ?」
と、思わず拍子抜けした声を出した。

「家族闘争」というのは、家族に学生運動をやっていることを打ち明け、家族と話し合い、自分たちがやっている学生運動を家族に理解させ、家族に学生運動を応援させる運動のことであった。
一九六六年にフランスのストラスブール大学で民主化要求の学生運動が始まり、それが一九六八年にはソルボンヌ大学の学生の民主化運動へと発展し、その年の五月二十一日にはパリで学生と労働者のゼネストを行った。そして、労働者の団結権や学生による自治権、教育制度の民主化を大幅に拡大することに成功した。それをフランスの五月革命と呼んだ。フランスの五月革命は学生が原動力となった革命として世界中に有名になった。
大学の民主化を目指して闘ったフランスの学生たちは、自分たちの運動の意義を理解させるために家族と話し合った。学生の民主化運動を理解した家族は学生を応援し、家族を巻き込んだ民主化運動は次第に学生運動から大衆運動へと発展していった。
五月革命が成功した原因のひとつに学生たちが家族の説得に成功したことをあげ、それを家族闘争と呼び、学生運動のリーダーたちは私たちに家族闘争をやるように指示したのだった。
フランスの五月革命のように大学の自治や民主化を目指した運動であったなら、私は家族の理解を得るために話すことができただろう。しかし、R大学の学生運動は五月革命のような民主化運動とは性格が異なっていた。
R大学の学生運動はアメリカ軍事基地撤去、ベナム戦争反対などを掲げていたが、反戦平和運動の域に止まるものではなかった。沖縄最大の大衆運動である祖国復帰運動を批判し、民主主義国家であるアメリカを帝国主義呼ばわりし、労働者を弾圧したといってソ連をスターリン官僚主義と批判するような思想の学生運動であった。それに加えて本土の学生運動と系列化していったR大学の学生運動は急速に過激になっていった。ヘルメットを被ってジクザグデモをやり、ゲバ棒で機動隊と衝突したり、火炎瓶を投げたりした。
理論は革命論もどきで、行動は暴力的なR大学の学生運動を、古い沖縄の因習を信じている私の親が理解し、納得し、応援してくれるように説得するのは到底不可能なことであった。上からの指示であったが、私は「家族闘争」はやらないことに決めた。
学生運動のリーダーたちは「親の理解を得ない限り、真の闘いとは言えない」と、フランスの五月革命を例にして、「家族闘争」をすることを指示したが、多くの学生は親の理解は得られないことを予想していたから、私と同じように「家族闘争」を避けていた。リーダーの指示を素直に受けて、「家族闘争」をやった殊勝な学生も居たが、彼らの多くは、親に説得されて学生運動から離れたり、親に勘当されたり、親子喧嘩になって家出をしたり、強引に休学をさせられて大学に来なくなったりした。
私は「家族闘争」をしないと私なりの処理した。しかし、私とMが「家族闘争」をやるように指示されたのは私が学科委員長をしていた二年も前のことであった。激しく変動する時代を過ごしている若者にとって二年前ははるか昔である。私にとって「家族闘争」は時代遅れの四字熟語であった。
「マタヨシは家族闘争をやったか」という時代遅れのMの質問に、私はあきれて、「家族闘争」という興味のない質問に答える気もなく、黙っていた。

・・・Mよ。俺はY公園で革靴を失って苛々しているし、久しぶりに参加した県民大会で肉体はひどく疲れている。お前と古臭い「家族闘争」の話なんかしたくないから、さっさとここから立ち去ってくれ。俺を独りにしてくれ。・・・

というのが、その時の私の正直な気持ちだった。私の沈黙に、感のいい人間なら、話をしたくない私の気持ちを察知して、その場から去って行っただろう。しかし、Mは感のいい人間ではなかった。Mは私の側に座り続けた。
私がなにも言わないのでMは困惑したようだったが、質問の内容が唐突なので、私が返事をするのに苦労していると思ったのか、
「マタヨシの親はなんの仕事をしているんだ」
と、Mは私への質問の内容を変えた。私は予想していなかった質問に戸惑い、
「え」
と言い、Mを見た。

Mは私をではなく正面の闇を見つめていた。Mはまるで正面の暗闇と話しているようだった。Mは相手と目を合わせて話すことが苦手で、会話をする時には相手と目を合わすことを避けるために、顔を相手とは違う方向に向けて話す癖があったことを思い出した。




2011年02月04日

Posted by ヒジャイ
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短編小説

1971 Mの死  5/9

那覇市で一番空に近いR大学のキャンパスには初夏の涼しい風が吹き、頭上のガジュマルの枝葉をざわつかせていた。私は・・・・・県民大会に行かなければよかった。・・・とため息をついた。県民大会に行かなければ、家庭教師を終えた後に、国際通りにあるジャズ喫茶店でマイルスのトランペットを聴きながらコーヒーを飲み、それから当の蔵の間借り部屋に帰り、今頃はのんびりとラーメンを食べていた。ところが、県民大会に行った私は思わぬハプニングのためにY公園のぬかるみに革靴を取られてしまった。それがために、お腹が空いているのにラーメンを食べることできないでR大学のキャンパスに居なければならない。私はガジュマルの幹に背を持たせながら、県民大会に行ったことを後悔していた。

アジア大陸のほとんどの国がアメリカと対立する社会主義国家である情勢の中で、ベトナム戦争は敗北の色が濃くなり、アメリカにとってますます沖縄の軍事基地は重要な存在になっていた。ところが、ベトナム戦争で莫大な国家予算を使って経済危機に陥ったアメリカは沖縄のアメリカ軍基地を維持するのが困難になっていた。そこで、沖縄の施政権を日本政府に返還することによって、アメリカ軍事基地の維持費を日本政府が肩代わりする方法を日米政府は計画した。
アメリカ軍事基地を強化・維持する目的で沖縄施政権返還計画は着々と進み、沖縄返還協定は調印された。沖縄の施政権返還は沖縄のアメリカ軍を強化維持する目的で日本政府とアメリカ政府が画策したものであったのに、施政権返還を祖国復帰運動の成果だと祖国復帰運動家たちは公言していた。それは間違った認識である。そもそも、世界の政治情勢を無視して、祖国復帰すれば核もアメリカ軍基地もない平和で豊かな沖縄になるという祖国復帰論は間違っているし、今度の沖縄施政権返還の内実がそれを証明していた。R大学の学生集団は県民大会で、施政権返還の内実を世間にアピールするために日の丸と星条旗を交錯させて燃やしたのだ。私はその行為は理解できたし賛同もできた。しかし、県民大会の議事進行を邪魔し、演壇を占拠してしまうのは横暴な行為だ。許されることではない。あのような横暴なことをやるから一般学生は離れていくのだ。横暴で過激な行為は学生運動を衰退させてしまうだけである。
明日になれば、私が学科委員長だった頃と同じように、それぞれの学科委員長はそれぞれの学科集会を開き、県民大会の演壇で日の丸と星条旗を燃やした意義を学生たちに説明するだろう。しかし、県民大会の議事進行を中断させて、演壇を占拠したことに正当性があるかどうかという問題はなおざりにされるに違いない。

自治会室から漏れてくる光は私の目の前の芝生を照らしていたが、芝生を闇が覆った。自治会室からの光を背にした誰かが私の居る場所に近づいてきたためだ。多加子さんが来るには早いなと思いながら私は振り向いた。影の正体は多加子さんではなく男であった。男は明るい場所から木々が植わっているキャンパスのうす暗い場所に入ったために、私を見つけることができないようだった。
「マタヨシ」
と、男は私の名を呼んだ。声を聞いて男の正体が分かった。私の名を呼んだ男はMだった。

私がMと出会ったのは三年前だった。演劇クラブはフランスの作家ジャン・ジュネ作の「黒ん坊たち」を大学祭で上演することになったが、役者が不足したので演劇クラブ員である仲里が同じ学科の後輩であったMを口説いて連れてきた。Mは高校時代の先輩であるNが役者をやってくれと頼むと、役者の経験はなかったのに承知したという。
Mの役は老いてもうろくした元将軍だった。元将軍は四六時中居眠りをしていて、たまに目が覚めると、意味不明の、「女郎屋へ。くそ、女郎屋へ」というセリフを吐いた。元将軍を演ずることになったMは読み合わせの時から全力で、「女郎屋へ。くそ、女郎屋へ」と叫び、セリフを言うたびに唾を飛ばした。読み合わせだから、大声を出す必要はないと注意すると、「はい」と頷いたが、Mの叫びは直らなかった。Mが唾を吐いて叫ぶたびに、私たちは大笑いしたものだった。Mはくそ真面目で不器用な男だった。
夏休みに、演劇クラブは伊平屋島で合宿をすることになった。クラブ室で酒宴を開いている時に、男子寮の近くの池に棲んでいる、「モー、モー」と鳴く食用かえるを捕まえて食べたいと私が言うと、伊平屋島出身の伊礼は、伊平屋島の田んぼには食用かえるがたくさん棲んでいて、簡単に捕まえることができると言った。それに、伊平屋島には野生の山羊がいて、山羊を捕まえて食することができるとも言った。それが理由で恒例の演劇クラブの夏休み合宿は伊平屋島ですることになった。オブザーバーであるMも伊平屋島の合宿に参加した。
伊平屋島に到着し、わくわくしながら田んぼに行くと、稲刈り時期の田んぼは干上がり、食用カエルはいなかった。私たちはがっかりした。どうしても食用かえるが食べたい私たちは、合宿している小学校の教室の裏の小さな池に棲んでいる食用カエルを捕まえて食べた。
伊平屋島の裏山には伊礼が言ったように野生の山羊が住んでいた。海岸を歩いている山羊を見つけた私は山羊を捕まえよう山羊に近づいた。すると山羊は岩を登り始めた。私は岩を登るのは人間のほうが有利と思い、山羊を捕まえるチャンスと思って岩を登った。ところが山羊は岩登りの名人であり、トントンと登っては立ち止まり、私を振り返る余裕を見せた。山羊にバカにされている私の様子を見てクラブ員たちは大笑いした。想像以上に動きの早い山羊を捕まえるのを私はあきらめざるをえなかった。
野生の山羊を捕まえるのは難しく、簡単に山羊を捕獲できると豪語していた伊礼を私たちは責めた。責任を感じた伊礼はMを指名して二人で山羊を捕まえるから、私たちは宿泊している学校に帰るようにと言い、伊礼とMは裏の海岸に残った。私たちはすばしこい野生の山羊を捕まえるのはできないだろうと思っていたが、夜になり伊礼とMは子山羊を捕まえ、首や内臓を処理した子山羊を自転車のハンドルに括り付けて帰ってきた。
Mは先輩に指示されると表情一つ変えずに言われたことをやった。まるでロボツトのようだと私たちはMを揶揄したものだった。
伊平野の合宿は、浜でハマグリを拾ったり、魚を釣ったり、島のあちらこちらを冒険したり、ヘビが寝床に侵入して大騒ぎになったり、私たち若者は演劇の練習はそっちのけで伊平屋島の夏を楽しんだ。夏休みが明けて暫くすると、「黒ん坊たち」は頓挫し、Mは演劇クラブ室に来なくなった。
翌年の三年次になった時に、Mと私は学科委員長になり、学生運動の場で顔を合わせるようになった。しかし、顔を合わせると黙礼をして挨拶程度の会話をするくらいで私とMが長話をすることはなかった。学科委員長を辞めてから学生運動に参加しなくなった私はMと顔を合わせることもなくなった。先刻、私が自治会室に入った時、Mは自治会室に居た。久しぶりに会った私とMは黙礼をしただけで、言葉は交わさなかった。そのMがなぜ私と会おうとしているのか、私には不思議だった。
革靴を失って憂鬱な私はMと話す気がなく黙っていた。闇の中の私を見つけることができないMが、私を探すのをあきらめて去って行くのを私は期待していたが、
「マタヨシ」
と、Mは再び私の名を呼んだ。私は仕方なく、「ああ。」と、私の居場所を知らせる声を発した。Mは私の声を聞き、私の居る場所に近づいてきた。私は自治会室の明かりを背にして近づいてきたMを黙って見ていた。Mは私の側に立つと、
「元気か」
と言った。
「ああ」
と私は生返事をした。Mは、
「ちょっといいか」
と言った。断りたかったが、私は、
「ああ」
と答えた。Mは私の側に座った。
「まだ演劇をやっているのか」
とMは訊いた。Mの質問に私はむっとした。